この例えは非常に巧妙で、多くの人が似たような考えを持っています。次のように捉えることができます。これらは確かに「コンセンサス」という基盤の上ではよく似ていますが、全く異なる2種類の「コンセンサス」なのです。
どちらも「みんながすごいと思っている」ことで有名になった2人の人物だと想像してみてください。
芸術品の価値は、「文化圏のコンセンサス」のようなものです。
モナ・リザがなぜ高価なのか考えてみましょう。
- 希少性:ダ・ヴィンチが描いたもので、世界にたった1枚しかありません。それ以上はありません。
- 物語と裏付け:その背後にはダ・ヴィンチという超一流のIPがあり、数百年もの歴史物語があり、ルーブル美術館に収蔵され、無数の美術史家や評論家によって称賛されてきました。この「コンセンサス圏」には、トップクラスの専門家、権威ある機関、裕福なコレクターたちがいます。彼らが「これは素晴らしい、歴史的意義があり、ある時代の頂点を表している」と言うのです。
- 感性的な価値:それを見たとき、その美しさ、神秘性、あるいは歴史的な感覚に心を打たれるかもしれません。この価値は主観的で感情的なものです。
このコンセンサスは、雪だるま式に数百年かけてゆっくりと形成されてきました。それは人類の歴史、文化、美意識、感情に基づいています。つまり、その価値は物語を語る力に根ざしているのです。
一方、ビットコインの価値は、「数学とネットワークのコンセンサス」のようなものです。
ビットコインがなぜ価値があると感じる人がいるのか考えてみましょう。
- 希少性:コードによって、総量が2100万枚と定められています。1枚も多くも少なくもありません。これは数学的に保証されており、誰も変えることはできません。
- ルールと裏付け:そのルール(誰が帳簿を記録するか、どのように送金するかなど)はコードに書き込まれており、世界中の無数のコンピューターによって共同で維持されています。誰も一方的に制御したり改ざんしたりすることはできません。その「裏付け」は専門家ではなく、公開透明で不正ができない数学的アルゴリズムと強力なコンピューターネットワークです。
- 合理的な価値:人々がそれを信じるのは、「美しい」とか「物語がある」からではなく、このシステムが信頼でき、分散型であり、私有財産を保護できると信じているからです。この価値は論理的で合理的なものです。
このコンセンサスの確立は、技術とコードへの信頼に基づいています。つまり、その価値は検証可能なルールに根ざしているのです。
したがって、この2つの対比関係は次のようになります。
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共通点(なぜ似ていると言えるのか):
- どちらも「実用的な」価値はありません。モナ・リザを食べることも、ビットコインを毛布として使うこともできません。
- どちらも「希少性」に依存しています。一方は物理的な唯一無二性、もう一方はコード上の数量の不変性です。
- 価値はどちらも人々の「信頼」から生まれます。もし明日、誰もがモナ・リザをただの絵の具の塊だと思ったり、ビットコインをただのコードの羅列だと思ったりしたら、それらは瞬時に無価値になるでしょう。
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本質的な違い(なぜ対比であって、同一ではないのか):
- コンセンサスの基盤が異なる:芸術のコンセンサスは主観的で文化的、エリート主導です。ビットコインのコンセンサスは客観的で数学的、コード主導です。
- 検証可能性が異なる:絵画の真贋や価値は、多くの専門家による鑑定が必要で、一般人には理解しにくいものです。一方、ビットコインの真贋は、技術を理解している人なら誰でもコードとネットワークを通じて検証でき、それは絶対的に透明です。
- 核となるものが異なる:芸術の価値の核は人間の感情と物語です。ビットコインの価値の核は中立的なルールへの信頼です。
簡単にまとめると:
芸術品は、**「オールドマネー」や「文化エリート」**たちが、彼らのセンス、知識、影響力を使って数百年かけて築き上げてきた価値と見ることができます。
一方ビットコインは、**「技術オタク」や「理想主義者」**たちが、揺るぎない数学的ルールを用いて、誰にも、どの機関にも依存しない価値体系を信じるよう呼びかけたもの、と言えるでしょう。
したがって、「コンセンサス」という言葉でこの2つの価値を対比させるのは、非常に素晴らしい視点です。どちらも「コンセンサス」という土台の上に立っていますが、一方は人文的な香りのする芸術の殿堂を築き、もう一方はコードと論理で構成されたデジタルの要塞を築いたのです。