科学者は、メディアによるスーパーフードに関する誤解を正す責任があるのでしょうか?
はい、ではこの非常に興味深い話題についてお話ししましょう。
「スーパーフード」の誇大宣伝について、科学者は介入すべきなのか?
個人的には、答えは「イエス」だと思います。科学者には責任があり、それも非常に重要な責任です。ただし、この問題は私たちが思っている以上に複雑で、単にメディアに向かって「間違っている」と叫べば済むものではありません。
この問題をいくつかの側面から見てみましょう。
なぜ責任だと言えるのか?
1. 一般市民の財布と健康に関わるから
これが最も直接的な理由でしょう。「スーパーフード」という言葉それ自体が科学的用語ではなく、むしろマーケティングのために作り出されたものです。メディア(意図的かそうでないかは別として)が、ブルーベリーやチアシード、ケールなどの特定の食品を、「食べれば病気が治る」「永遠の若さが保てる」かのように過度に持ち上げると、何が起きるでしょうか?
- 財布への打撃: 多くの人がこの「神格化」された食品に高額を払い求め、身近にありながら同様に栄養豊富で手頃な価格の食品(ほうれん草、りんご、ニンジンなど)を軽視することになります。
- 健康への誤導: さらに深刻なのは、健康的な食生活についての認識が歪められることです。健康な食事の鍵はバランスと多様性にあり、特定の1~2種の「スーパーフード」に頼って何とかしようとするものではありません。「スーパーフード」を過剰に称賛するのは、特定の科目だけが得意な生徒に満点を与えるようなもので、それ1つだけやっていればいいという誤解を与えてしまいかねません。
科学者、特に栄養学や公衆衛生の分野の専門家の研究成果は、一般市民の健康と福祉に直接関わっています。誤った知識が広まるのを黙って見ているのは、ある意味で公衆衛生に対する無責任と言えるでしょう。
2. 科学の厳密性と信用を守るため
メディアによる科学研究の報道は、しばしば「一部だけ切り取った解釈」や「過剰解釈」になりがちです。ある論文が「マウス実験において、ある種の抽出物が特定の細胞の老化遅延にある程度の関連性を持つ可能性がある」と言っているだけなのに、メディアの見出しでは「衝撃!科学者が発見、XX食品が老化を逆転させる!」となってしまいます。
このような誇張された宣伝は、短期的には注目を集めるかもしれませんが、長期的には科学界全体の信頼を損ねます。しばらく「スーパーフード」を食べてもスーパーマンになれないと人々が気付いた時、「なんだ、専門家や学者の言うことなんて、まったく当てにならないんだな」と思うかもしれません。この不信感は、ワクチンや気候変動など他のすべての科学分野にも波及し、その結果は深刻です。
したがって、科学者が声を上げて事実を明らかにすることは、栄養学という単一の分野のためだけでなく、「科学」という言葉そのものが私たちの中で持つ重みを守ることでもあるのです。
3. 納税者への説明責任を果たすため
多くの科学研究、特に基礎研究は政府資金によって行われています。つまり、税金が使われているのです。科学者にはその研究成果を正確に社会に還元する責任があります。歪められた科学的情報を正し、公衆が本当の役立つ知識を得られるようにすることも、この還元の一部なのです。
それではなぜ、これを実行するのは難しいのか?
責任がこれほど重大なら、なぜ信頼できない宣伝がまだあちこちで見られるのでしょうか? 科学者がこれを「管理」しようとするとき、多くの現実的な困難に直面するためです。
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「専門家ゆえの壁」、伝えることの難しさ 科学者は、学術界内で厳密で正確な、少し退屈かもしれない言葉を使って交流することは得意です。しかし、メディアが求めるのは「目を引く」「分かりやすい」「話題性がある」ものです。「特定の条件下では、AとBに有意な正の相関が見られる(p<0.05)」という言い方に慣れた科学者が、扇情的な見出しをつけるメディアに対処するのは、往々にして歯が立たないと感じるものです。
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「デマ否定には割に合わない労力」というジレンマ センセーショナルなデマは、たった数分でソーシャルメディアを駆け巡るかもしれません。しかし、しっかりとした根拠のある反論記事は、読むのに理解力が必要で、広まるスピードも遅く、効果は往々にして不十分です。"デマを流すのは一瞬、否定するのは骨が折れる"(造谣一张嘴,辟谣跑断腿)のです。
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時間と労力の制約 科学者の本業は研究、学生指導、研究費申請です。これらの業務でスケジュールは常にぎっしりです。科学啓発やメディア対応は、多くの場合「本業でない」付加的な仕事と見なされ、KPI(業績評価指標)にもならない上、ほとんど実質的な支援も得られません。
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「出る杭は打たれる」リスク メディアや企業の誤りを公に正そうとすると、相手を怒らせたり、ネット上の誹謗中傷を招いたりする可能性があります。このようなプレッシャーにすべての人が喜んで、あるいは可能な範囲で耐えられるわけではありません。
では一体どうすべきか? これは科学者だけの問題ではない
したがって、この問題のすべての責任を単純に科学者に押し付けてはいけません。より体系的な解決策が必要です。
- 科学者は「自ら動く」こと、そして賢く「(学術界の)外に出ること」: 科学者はより生き生きと、一般にも分かりやすい方法(ブログ開設、動画作成、信頼できるメディアとの長期的な協力関係構築など)で科学啓発を進めることができるはずです。デマが流れてから事後的に否定するのではなく、発信の場を自ら獲得すべく積極的に動くべきです。
- メディアは「科学の番人」としての自覚を持つこと: メディアは科学ニュースを報じる際、複数の情報源に裏をとり、その分野の真の専門家を取材すべきで、論文を1つ見て結論を自分で「空想する」べきではありません。責任感あるメディアは、科学と公衆をつなぐ架け橋であって、デマの拡大装置ではないはずです。
- 私たち一般市民も「メディア・リテラシー」を高めること: 情報の受け手として、私たち自身も「防火壁」を持つ必要があります。「スーパーフード」のような宣伝を見たら、次の質問を自分に投げかけてみましょう:
- 情報源はどこ? 権威ある研究機関か、それとも何か健康食品を売っている会社か?
- 表現が絶対的すぎないか?「治療」「根絶」を謳うものは、ほとんどが偽りです。
- 常識にかなっているか? 1つの食品で全ての健康問題が解決するなんて、夢のような話に聞こえませんか?
- 背後に利害関係はないか? この記事は、どこかのブランドの広告ではないか?
まとめると:
科学者には、「スーパーフード」に関する誇大宣伝を正す明確な責任があります。しかし、これは単なる個人的な選択ではなく、社会的責務です。これを果たすためには、科学者の自覚だけでは不十分で、研究機関の支援、メディアの自律、そして私たち一人ひとりの批判的思考力(クリティカルシンキング)の向上が求められます。
これはまるで綱引きの試合のようなものかもしれません。一方に利益と注目を求める誤った情報があり、もう一方に科学的な事実があります。科学者たちは主力ですが、彼らには真実を正確に伝えるための「拡声器」としてのメディアと、私たち市民が彼らの側に立ち、全員で力を合わせる必要があり、そうしてこそ綱は真実の側へと引かれるのです。