これは非常に素晴らしい観察と質問です!この二つの概念を併せて考察することで、ナワール氏の思想の本質をより深く理解することができます。
端的に言えば、私の見解はこうです:「ナワールの哲学は、21世紀のデジタル化・精神化された変異体としての『新自由主義的個人主義』と大きく見なすことができる」
ただし、これは完全に否定的な意味合いというより、より正確な描写だと言えます。なぜそう言えるのか、そしてどこが異なるのかを、分かりやすい言葉で解説しましょう。
なぜ「新自由主義的個人主義」に「似ている」と言えるのか?
「新自由主義的個人主義」は学術的に聞こえますが、その中核となる思想は私たちにとって馴染み深いものです:
- 市場競争の強調:市場こそが最良の資源配分手段であるという信念
- 個人責任の強調:成功や失敗は、社会や政府ではなく、主に個人にかかっている
- 自分自身を企業として経営する:誰もが「採算を取る」会社のように行動し、自らの「市場価値」を高めるべきである
さて、これをナワール氏の核心的な主張と照らし合わせてみると、一致点が感じられませんか?
1. 徹底的な個人責任と原子化された個人
ナワールの哲学の出発点は、ほぼ完全に**個(個人)**です。彼の有名なツイート『如何にして運に依存せずに富を築くか(How to Get Rich (Without Getting Lucky))』は全面にわたり「あなた」がどうすべきかを説いています:
- 「全面的な責任を取れ」(Take accountability):自分の名前を賭けてリスクを引き受け、栄誉を独占せよ
- 「あなた独自の知識を見つけよ」(Find your specific knowledge):教えられず、実践を通じてのみ習得できる知識
このような語り口は、個人を社会構造から完全に「切り離し」、独立して行動し決断できる原子(個体)へと変えます。彼の哲学の青写真では、出自や社会資源の不公正といった「制度的障壁」は大幅に矮小化され、焦点は世界という巨大な市場で自らの努力と知恵いかんで居場所を見つける方法だけに向けられます。
これはまさに新自由主義的個人主義の古典的な特徴です:個人の成功や失敗は、自身の選択と能力に帰因される。
2. 価値を実現する唯一の舞台としての市場
ナワール氏が推奨する道は「富の創造」(Wealth Creation)であり、「地位ゲーム」(Status Games)ではありません。どのように富を創造するか?答えは市場を通じてです。
- レバレッジ(Leverage)の活用:複製限界費用(marginal cost)がほぼゼロであるため、コードとメディアはこの時代最高のレバレッジである
- 社会が必要としているがどう入手すればいいか分かっていないものを提供せよ(Provide Society What It Wants But Doesn't Know How To Get)
彼の枠組みの全体は、優れた「市場参加者」になる方法を教えています。あなたはインターネットというグローバル化された非集権的な市場を通じて、全世界に向けて自分の製品やサービスを提供し、見返りを得るのです。これは新自由主義の市場に対する信条——市場こそが最も効率的で公平な価値発見メカニズムである——に完璧に合致しています。
3. 「主権的個人」(Sovereign Individual)の理想
ナワール氏の思想は、『The Sovereign Individual(邦題:主権的個人)』(日本語訳あり)という本から強い影響を受けています。この概念は、技術(特に暗号通貨とインターネット)を活用して地域や国家の制約から脱却し、世界中どこでも生活・仕事ができる「主権」を持つ主体となる、そうした未来を描いています。
この理想像は、新自由主義的個人主義の究極の幻想と言えます:完全に自由で、自己責任を負い、グローバル市場を自由に移動するスーパー個人。
しかしながら「まったく同じ」というわけでもない
もしナワール氏がこれらを提唱しているだけならば、彼は1980年代の経済学者たちと変わりません。彼の思想が今日これほど人気を博している理由は、この冷徹な個人主義に温もりのある「精神的内核」を覆いかぶせている点にあります。
1. 究極の目標は「内面的平静」であって、際限なき収奪ではない
従来の新自由主義者は「幸福」についてほとんど語りません。彼らのモデルでは、人間は「合理的経済人」であり、目標は利益の最大化です。
しかしナワール氏は幸福、平静、そして今を生きることについて膨大なページを割いています。彼は、お金を稼ぐことは単なるゲームに過ぎず、そのゲームに勝利する目的は「ゲームから降りる」ためにあると論じます。富を創造する努力をするのは経済的自由を得るためであり、そうすることでお金に煩わされることなく、本当にあなたを穏やかで満たされた気持ちにさせることに時間を捧げられるようになるためだと言います。
これは、新自由主義が「どうやって最高の船(稼ぐ力)を造るか」を教えるのに対し、ナワール氏は「そうです、素晴らしい船を造るべきです。でもその目的は、好きな時に好きな港に停泊し、ただ静かに夕日を眺めるためであって、それで全ての海を征服しに行くためではありません」と言っているようなものです。
2. 古来の東洋思想のブレンド
彼の哲学はストア主義(ストイシズム)と仏教の思想に満ちています。
- 「欲望は即ち苦しみである」:彼は繰り返し、幸福は欲望を満たすことではなく、欲望を減らすことによって達成されると強調しています。これは消費主義が原動力となる新自由主義とは正反対の立場です。
- 今を生きる:これは典型的なマインドフルネス(Mindfulness)の観念です。
こうした東西思想の融合は、彼の「個人主義」をそれほど冷酷なものには見せず、むしろ才気と禅の雰囲気さえ漂わせています。これは激しい競争に疲弊した現代の知識労働者たちに精神的な逃げ道を与えています。
まとめましょう
では、最初の質問に戻って:ナワールの哲学は「新自由主義的個人主義」の変異体と言えるか?
はい、言えます。 私たちはこれを、21世紀のインターネット時代に合わせてカスタマイズされた**個人用OS(オペレーティングシステム)**のように見なすことができます:
- その「行動層」あるいは「シェル(外殻)」:は純粋な新自由主義的個人主義です。この世界で成功するために市場原理、個人責任、技術的なレバレッジをどう活用すべきかを教えてくれます。
- その「精神層」あるいは「カーネル(中核)」:は古来からの個人の修行の知恵です。こうした外面の成功の究極的な目的は、内的な平静と自由の実現のためであることを教えてくれます。
ナワールの思想がこれほどの魅力を持つのは、現代人の抱える最も切迫した二つの疑問——「この厳しい競争社会でどうやって勝ち抜けばいいのか?」(新自由主義の答え)、そして**「勝ち抜いた後、どうやって本当の幸福を得ればいいのか?」**(東洋思想の答え)——を見事に答えているからだと言えます。
ですから、それを「新自由主義的個人主義」の変異体と表現することは、最も顕著な「シェル(外殻)」の特徴を捉えてはいますが、おそらくその独自の「カーネル(中核)」を見落としています。この「カーネル(中核)」こそが真の魅力なのです。