もし「黄金時代」のJDM文化の側面を一つだけ残せるとしたら、何を選ばれますか?

洋介 翔太
洋介 翔太
Expert in JDM culture, spent 10 years in Tokyo.

もし一つしか選べないなら、私は"百花繚乱の探求心"を選ぶ

もっと砕けて言えば、あの時代の**「正解がない」チューニングの雰囲気**だ。

その感覚を説明しよう。


「黄金時代」とはどんなものだったのか?

想像してみてほしい。車好きの若者で、小銭を貯めてスカイラインGT-RやシルビアS13を手に入れた。もっと速く、カッコ良くしたい。どうする?

当時は「攻略情報」なんてほぼなかった。ネットは未発達で、YouTuberが「XXX車種 最強ステージ3設定」と教えてくれることも、SNSで「何を改造すれば注目されるか」なんて情報もない。

情報源はせいぜい数冊の有名チューニング誌(『Option』とか)、地元で評判の小さなチューニングショップの店主や整備士との雑談くらいだった。

そこで不思議なことが起こる:

  • Aショップの店主は「馬力狂」。こう言うだろう:「余計なことは考えずに、このRB26エンジンの限界をぶち込め!目標は1000馬力、首都高最速だ!」。こうしてトップシークレットのような「湾岸モンスター」が生まれる。
  • Bショップの店主は元々サーキットや峠(とうげ)を走っていた。彼は肩をドンと叩いて言う:「馬力だけあってもコーナー抜けなきゃ意味ないだろ?シャシーとサスから始めて完璧なバランスを作り出し、峠で自由にドリフトできるようにしてやる!」。こうして無数の「峠(とうげ)伝説」が生まれた。
  • Cショップの店主はアーティスト肌。車は速さだけでなく、唯一無二の見た目も大事だ。彼はあなたと一緒に極太のフルボディキットをデザインし、カスタムホイールと派手なカラーリングを提案。性能はトップクラスではないが、街へ出れば絶対に注目の的になる。

同じ1台の車が、持ち主の思想や目指すもの次第で全く別物に生まれ変わる。誰もが自分なりの方法で愛車の限界と可能性を探求していた。外観から性能、サーキットからストリートまで、様々なスタイルが百花繚乱。正解はなく、「どれが好きか?」だけがあった。

現代はどうか?

情報が溢れすぎて「予想外の発見」が激減した。車をチューンしようとネットで検索すれば即座に無数の「正解」が飛び込んでくる:何のブランドのターボを使うか、どのプログラムでECUを書き換えるか、完璧なホイールデータはどれか--。みんな「最適解」を追い求め、出来上がる車はどれも素晴らしい反面、どんどん似通っていく。かつての自由奔放な個性や「野良派(ノラ派)作り」の驚きが失われている。

だから、もし1つの要素だけ残せるなら、迷いなくあの探求心と創造力に満ちた雰囲気を選ぶ。

伝説のJDM(スープラ、GT-R、RX-7など)が土台であることは間違いない。しかし、あの時代を本当に輝かせたのは、チューニングショップ、整備士、オーナーの情熱と想像力、汗水だった。彼らが冷たい機械に独自の魂を吹き込んだのだ。

「さて、何が作り出せるか試してみよう」という純粋な熱意こそが、私にとってJDM黄金時代において最もかけがえのないものだ。