90年代のJDMの「精神」は、今日でも存在しているのでしょうか?もし存在するとすれば、どのような形で具現化されていますか?

Zenta MBA.
Zenta MBA.
Car mechanic with deep JDM knowledge.

はい、承知いたしました。以下は日本語訳です。マークダウン形式を維持し、追加の説明は一切含めていません。


この話題になると、どうしても語りたくなってしまうね。この質問は本当に核心を突いているし、僕たちのようなオールドファンの心にも響くんだ。

例えるなら、「80年代のロックスピリットは今も生きているのか?」って問うようなものさ。当時のバンドは解散し、ボーカルも年を取った。でも、彼らの音楽は今もカバーされ、そのスタイルは新たなバンドたちに影響を与え続けている。ファンも世代交代してきた。

だから、90年代のJDM「スピリット」に対する僕の答えはこうだ:

スピリットは今も生きている。だが、その世界はもはやかつての世界ではない。かつての主流ではなく、さまざまな形で地底を流れ続ける川のように、新たな時代の中で息づいている。


まず、90年代のJDM「スピリット」の本質とは何なのか?

あの時代のJDMスピリットは、僕の中では以下のような要素が核心だと思っている:

  • 庶民のヒーローという夢: これが最も重要だった。当時は、フェラーリやポルシェのような大金をかけなくとも、シルビアS13やシビックEG6、スープラといった日本車に、自らの手と知恵を注ぎ込んでチューンすれば、桁違いに高価なスーパーカーに張り合えるほどの性能を得られた。これは「下克上」の快感そのものだった。
  • DIY(自らの手で)至上主義: それは機械式メカニズムの黄金時代だった。車の構造は比較的シンプルで、電子制御も複雑ではなかった。多くのプレイヤーが自宅のガレージでパーツ交換やセッティングにいそしんだ。車は単なる移動手段ではなく、大きな「おもちゃ」。クルマをカスタマイズする過程も、その結果得られるものも、同じくらい重要な意味を持っていた。
  • 性能重視、機能本位: 外見がクールか? それも重要だった。だが、何より重要なのは「このチューニングパーツに実用的な意味はあるのか?」「このウイングはダウンフォースを生み出せるのか?」「このホイールは本当に軽いのか?」だった。クルマをより速く、よりパワフルに、ハンドリングを向上させること。それが至上目標だった。外観は性能のためのものだった。
  • ピュアな運転感覚: 電子制御のアシストは今ほど多くない。ABSすら高級装備だったかもしれない。ステアリングから伝わる路面感、エンジンの唸り、MTの機械的でダイレクトなシフト感…人とクルマが機械を通じて直接対話する感覚こそが、あの時代の最も魅力的な部分だった。

では、今、そのスピリットはどんな形で存在しているのか?

それはいくつかの異なる形態へと分化している:

形態その1: クラシックの「継承者」と「修復者」

これが最もストレートな形。90年代のクラシックカー―GT-R(R32/R34)、RX-7(FD3S)、スープラ(A80)などに情熱を注ぐ多くのプレイヤーが今も存在する。

  • 変化点: しかし、その楽しみ方は90年代とは異なっている。かつての「庶民のヒーロー」は今や「後世に伝えるべきクラシックカー」となり、値段は高騰した。今、これらのクルマを楽しむことは、もはや「安価に高性能を得る」ためではなく、そのほとんどがレトロな思い出への「守護」活動だ。彼らは高額を払って純正パーツを探し求め、丁寧なレストア(修復・復元)や現代技術で当時の設計を洗練させるレストモッドに取り組む。目的は、これらの古き良き仲間たちを完璧な状態で生き続けさせることだ。
  • この形態におけるスピリット: この形では、JDMスピリットはあの黄金時代へのオマージュと温存として体現されている。

形態その2: 新時代の「継承者」

90年代のスピリットは、今の時代の一部の新車にも受け継がれている。

  • 代表車種例: トヨタGR86 / スバルBRZ、トヨタGRヤリス、ホンダシビックタイプR(FL5)、日産Z(RZ34)。
  • この形態におけるスピリット: 思うに、こうしたクルマと戯れる今の若者のスタイルは、往年の先輩たちの考え方に驚くほど似ている。彼らはベース性能が良好で手頃な価格のスポーツカーを購入し、エキゾースト、サスペンション、ホイールの交換やECUの書き換えで性能を引き上げ、サーキット走行や峠のドライブを楽しむ。彼らが追求するのも、やはり**「自身の努力で愛車をより速く強くする」** ことで得られる達成感と純粋な運転の喜びだ。これはおそらく、90年代JDMスピリットの最も正当な現代的継承といえる。ただ、メガネレンチやドライバーが一部、ノートPCとデータケーブルに置き換わっている点は違うかもしれない。

形態その3: 「文化記号」としての継承

現在では、「JDM」という言葉自体が、自動車チューニングの枠を超え、グローバルな若者文化の記号として流行している。

  • 具体例: インスタグラムやティックトックなどのSNS上には、JDMテーマのコンテンツがあふれている。「本物の」JDMカーを所有していなかったり、メカに対する深い知識を持たない人々も、「ローダウンスタイル(Stance)」、過激なワイドボディ、クラシカルなホイールデザイン、いわゆる「痛カー」のようなビジュアル——そうしたスタイル自体を好んでいることがある。ここでは、JDMの精神は**「性能主導」** からむしろ**「視覚性と流行主導」** へと変容している。これは原理主義的な90年代の精神とは異なり、むしろ背離している部分もある(例えばスタンスのために性能を犠牲にするなど)。しかし、これによりJDMカルチャーは新しく、そしてより広範な形で普及していったのも事実だ。

形態その4: 核心である精神の「分散化」

結局のところ、90年代JDM精神の核心は**「草の根」(Grassroots)** だった。この精神は現在も消えてはいない。ただ、もはや日本車、それもパフォーマンスモデルに限定されているわけではないのだ。

  • 具体例: 世界中を探ればわかる。旧型フォルクスワーゲンゴルフに熱中する人々、旧型BMW3シリーズを愛好する人々、あるいは中国ブランドの一部パフォーマンスモデル(例えばリンク&コの03+)に取り組む人々でも構わない。そこには予算の範囲内でクルマの潜在能力を引き出し、自身のコミュニティと文化を築こうとする、熱意溢れるDIY精神を持つグループが存在している。彼らの行為は、30年前に東京・大黒PAに集まったJDMプレイヤーたちの活動と、その本質において同一である。言い換えれば、JDM精神の火種は、全世界の草の根的なカーカルチャーの中に広く撒かれているのだ。

まとめよう

だから、90年代の生粋のJDM時代は、確かにもう戻っては来ない。中古のS14一台分の予算でフェラーリに挑める時代は過去のものだ。

しかし、その「精神」は決して死んではいない。

  • それは、丹念に修復されたクラシックカーの中に息づいている。
  • それは、GR86を駆ってサーキットを走る若者たちの営みの中に息づいている。
  • それは、ソーシャルメディアやポップカルチャーが生み出した流行の記号の中に息づいている。
  • そしてなにより、運転を愛し、自ら手を動かすことを楽しみ、「庶民であってもヒーローになれる」という信念を持つ、一人ひとりの普通のカーファンの心の中で確かに生きている。

あの往年のロックバンドのように、もはやステージに立つことはなくても、そのコード(和音)を奏でる者がいる限り、ロックは決して死なない。JDMもそれと同じなんだ。