はい、承知いたしました。一見すると難しそうな「アローの不可能性定理」について、ざっくばらんに話しましょう。
アローの不可能性定理 (Arrow's Impossibility Theorem)
あなたと何人かの友人が、今晩何を食べようか決める場面を想像してみてください。選択肢は三つあります:ピザ、ハンバーガー、鍋料理。
皆さんは、全員の意思を完璧に反映できる、絶対に「公平」な投票方法を見つけたいと考えています。簡単そうに聞こえますよね?
しかし、経済学者のケネス・アローは1951年に、それが実は「不可能」であることを証明しました。
アローの不可能性定理の核となる考え方は、「選択肢が3つ以上ある場合、私たちが『公平』だと考えるすべての条件を同時に満たす投票制度は存在しない。いずれか少なくとも一つを諦めなければならない」というものです。
これは、スポーツカーのように速く、電動スクーターのように燃費が良く、自転車のように安い車は作れないと言っているようなものです。性能、コスト、燃費の間でトレードオフをしなければなりません。投票制度も同じなのです。
私たちが望む「公平」な条件とは?
アローは、理想的な投票システムであれば満たすべき、当たり前だと思えるいくつかの「良い原則」を提案しました。その中でも最も重要な三つを、最も簡単な言葉でご説明します。
1. 独裁者の不在 (No Dictator)
- ざっくばらんに言うと:最終決定権を持つ人が一人であってはならない。投票結果が、常に特定の一人の意見だけに従い、他の全員の意見を完全に無視するものであってはなりません。
- 例:皆がどう投票しても、最終的にいつもケンが食べたいものが決まるなら、その投票システムは独裁的で不公平です。
2. 全会一致性 (Unanimity / Pareto Efficiency)
- ざっくばらんに言うと:もし全員が「AはBより良い」と考えているなら、最終的な投票結果でもAはBより上位に位置づけられなければならない。
- 例:もし皆が「ピザはハンバーガーより美味しい」と考えているなら、最終的な選考結果で「ピザ」の順位は「ハンバーガー」より上にならなければなりません。これに異論を唱える人はいないでしょう?
3. 無関係な選択肢からの独立性 (Independence of Irrelevant Alternatives, IIA)
- ざっくばらんに言うと:AとBに対する私たちの意見は、全く関係のない選択肢Cによって影響されてはならない。
- これは最も分かりにくく、かつ最も重要な点なので、例を挙げます:
- 仮に「ピザ」と「ハンバーガー」の間で投票した結果、ピザが勝利したとします。
- この時、突然「鍋料理」という選択肢が追加されたとします。
- 論理的に考えれば、「鍋料理」の追加によって、「ピザがハンバーガーより人気がある」という事実が変わるべきではありません。もし「鍋料理」が追加されたことで、投票結果が逆にハンバーガーが勝利したとなってしまったら、その投票システムには問題があるということです。
- これは「撹乱要因(スポイラー)」のようなものです。元々誰も選ばなかったはずの「撹乱要因」の出現が、既存の二つの人気選択肢間の結果を覆してしまったとしたら、それは明らかに不合理です。
「不可能性」は一体どこにあるのか?
アローは厳密な数学的論理を用いて、以下のことを証明しました。
選択肢が二つを超える限り、上記の三つの(そして他にもいくつかのより専門的な)基本的な原則を同時に満たす投票ルールを設計することはできません。 いずれか少なくとも一つを犠牲にしなければならないのです。
- 全会一致性と無関係な選択肢からの独立性を満たしたいとします。その場合、「独裁者」が出現する可能性が非常に高くなります。
- 独裁者の不在と全会一致性を満たしたいとします。その場合、設計したシステムは「無関係な選択肢」によって撹乱される可能性があります。
最初の例に戻りましょう。なぜ問題が生じるのか?
三人の人物(甲、乙、丙)の好みが以下のようだと仮定します。
- 甲:ピザ > ハンバーガー > 鍋料理
- 乙:ハンバーガー > 鍋料理 > ピザ
- 丙:鍋料理 > ピザ > ハンバーガー
試してみましょう。
- ピザ vs ハンバーガー:甲と丙がピザを選択し、ピザが勝利。(2対1)
- ハンバーガー vs 鍋料理:甲と乙がハンバーガーを選択し、ハンバーガーが勝利。(2対1)
- 鍋料理 vs ピザ:乙と丙が鍋料理を選択し、鍋料理が勝利。(2対1)
ご覧ください、これは「ピザ > ハンバーガー > 鍋料理 > ピザ...」という無限ループ(循環)を形成しています。 これは「投票のパラドックス」または「コンドルセのパラドックス」と呼ばれ、アローの不可能性定理を如実に示している例です。私たちは、公平なルールを用いて明確な「最適解」を導き出すことができないのです。
これが私たちに何を意味するのか?
少しがっかりするかもしれませんが、これは民主主義や投票といったものに生まれつきの欠陥があるという意味なのでしょうか?
はい、しかし、それだけが全てではありません。アローの不可能性定理の意義は以下の点にあります。
- 完璧な制度は存在しないことを教えてくれる:一度作れば永久に使える完璧な投票システムという幻想を抱いてはいけない、と教えてくれます。どんなシステムにも弱点があり、不合理な結果が生じ得る状況があるのです。
- トレードオフを迫る:選挙や意思決定システムを設計する際、どの「公平」の原則をより重視し、どれを犠牲にする意思があるのかを明確に認識しなければならない、ということです。
- 例えば、アメリカ大統領選挙(勝者総取り方式)は単純ですが、「撹乱要因」(無関係な選択肢)によって大きな影響を受けることがよくあります。
- 一方、一部のより複雑な投票システム(優先順位投票制など)は「撹乱」効果を減らそうとしますが、その代わり、計算の複雑さといった他の面で犠牲を払う可能性があります。
- 現実世界の混乱を説明する:なぜ多くの委員会の決定や議会の投票が膠着状態に陥ったり、一見すると奇妙な結果を生み出したりするのかを数学的に説明しています。これは必ずしも誰かが不正をしているからではなく、ルールそのものに内在する論理的な困難に起因している可能性があるのです。
まとめると、アローの不可能性定理は、社会選択理論における「ゲーデルの不完全性定理」のようなもので、理論上の限界がどこにあるのかを示し、境界線を引いています。投票が無意味だと言っているわけではなく、「公平さ」と「民意」を追求する道には常に妥協と取捨選択が伴うことを私たちに思い出させてくれるのです。