ジャーナリング(日記を書くこと)や信頼できる人に悩みを打ち明けることは、癒しのプロセスにおいてどのようなかけがえのない役割を果たすのでしょうか?
作成日時: 8/14/2025更新日時: 8/17/2025
回答 (1)
はい、お気持ち、とてもよくわかります。困難な関係を抜け出そうとしている時であれ、どん底から這い上がろうとしている時であれ、「書くこと」と「話すこと」は、僕にとって暗いトンネルの中に灯った2つの灯りのような存在です。単なるツールというより、癒しの道程において欠かせない相棒のようなものです。
以下、自分の実感を交えつつ、分かりやすくこの二つがなぜ大事なのかについてお話しします。
日記を書くこと(ジャーナリング):自分のための安全地帯であり真実記録装置
頭の中がモヤモヤした毛糸の塊のようで、様々な感情、記憶、自己不信が絡み合って、もつれをほどくことも整理することもできない状態を想像してみてください。日記を書くことは、その絡まりを一本一本引き出し、ゆっくりと解きほぐしていく作業のようなものです。
1. 混乱した心を整理し、モヤモヤした感情を「形」にできる
- どういうこと? 心が乱れている時、頭の中の考えは飛び跳ねて、ごちゃごちゃしています。でも、それを文字に書き出そうとすると、言葉を組み立て、「感覚」を「文」に翻訳せざるを得ません。このプロセス自体が整理になるんです。書いているうちに突然気づくかもしれません:「あ、私が怒っているのはこの出来事そのものじゃなくて、尊重されてないと感じたことなんだ」と。
- 例えるなら: 散らばった洗濯物を分類するように、日記を書くことで「怒り」「悔しさ」「諦めきれなさ」といった感情の衣類を、一枚一枚取り出し、畳んで、決まった場所に収納していくことです。それらが存在しない訳ではないけれど、もうぐしゃぐしゃの状態ではありません。
2. 「自己不信」や「記憶の歪み」に立ち向かう最強の武器
- これが非常に重要! 特に不健全な関係に悩む時、「私が過敏すぎたのかな?」「彼は本当にそんなこと言ったっけ?私が覚え間違えてる?」と自分を疑いがちになります。相手は言葉であなたに「自分の記憶は間違っている」と思い込ませることさえあるかもしれません(これがガスライティング)。
- 書き留めることは、証拠を残すこと。 例えば今日、「彼は金曜に一緒にいると約束したのに、さっき『約束した覚えはない』と言い、『君が騒ぎすぎだ』と言った」と記録します。次にまた不安になった時、日記を開けば、白紙の黒字が教えてくれます:**「あなたはおかしくない。あなたの感じ方は現実だ」**と。これは文句をつけるためではなく、自分の内面を安定させ、自分の感覚を信じる支えとなるための記録なのです。
3. 100%安全な「感情のゴミ箱」
- 友達に話すには「ネガティブすぎる」、家族には心配かけたくて言えない、そんな言葉もあるでしょう。でも日記の中では遠慮が要りません。人を罵倒しても、泣き言をこぼしても、最も幼稚で、最も悪意ある、最も脆い考えを書き綴っても、誰も批判しません。
- こうした批判されない自由な表現そのものが、巨大な解放と癒しになります。心の中の「毒素」を吐き出すことで、少しだけ心がスッキリするのです。
信頼できる人に話す:外の世界からの温もりと光
日記が内面への探求だとすると、打ち明けて話すことは外との繋がりです。その代替不可能な価値は、日記だけでは得られないものが得られることです。
1. 最も大切なこと:「あなたはおかしくない」という外からの保証を得られる
- 自分の経験や気持ちを信頼できる友人やカウンセラーに打ち明けた時、彼らの一言「えっ⁉彼、そんなことしちゃダメでしょ!」や「そりゃあ、そんな風に感じるの当然だよ。私だったらそう感じるわ」というのは、計り知れない力を持ちます。
- それはまるで光の束が、自己不信の霧を一瞬で貫くかのようです。あなたの感情は理解され、認められていると教えてくれます。この「気持ちを汲んでもらえた」という感覚こそが癒しの核です。それはあなたを孤立した島から救い出してくれます。
2. 「傍観者清」の視点をもたらしてくれる
- 当事者である私たちは、往々にして「木を見て森を見ず」の状態に陥ります。友達は気づかせてくれるかもしれません:「気づいた?彼って、君が去りそうになる時だけ急に優しくなってくるよね?」とか「忘れたの?この前も全く同じことですごく落ち込んでたじゃない」と。
- この外部からの視点が、あなたが見過ごしているかもしれない「パターン」に気づかせ、問題の本質をもっとクリアに認識する助けになります。
3. 羞恥心と孤立感を打ち壊す
- 多くの苦しみ、特に人間関係における苦しみには、「私ってダメな人間なのかな?」「こんなこと言ったら恥ずかしい」といった強烈な羞恥感が伴います。秘密を口にすることで、この行為自体が羞恥感の力を弱めます。
- 誰かが自分の「みっともない部分」を受け入れてくれた時、自分は一人で戦っているのではないのだと気づきます。この繋がり感は絶望への特効薬です。
4. 実際的な感情サポートを受け取れる
- 日記では抱きしめられない時でも、友達なら抱きしめてくれます。真夜中に心が崩れそうになった時、一本の電話と「一緒にいるよ」という一言の温もりは、物理的なものです。そうした付き添いは、警戒状態だった神経系をゆっくりと休める助けとなり、それは純粋に身体的な安心感をもたらします。
まとめ:二つはいかに協力するか?
まるで右手と左手のように、組み合わせると最高の効果を発揮します。
- 日記は「証拠収集と整理」: まずは混乱している心の中を綴り、自分なりの分析を試み、感情を発散します。
- 話すことは「整理済みの材料を信頼できる相談役に見せる」こと: 日記を通じて少し自分を理解できたら、誰かに話しましょう。その時には自分の考えも整理されているので、しっかり伝えられ、相手もあなたの言いたいことをより理解しやすくなります。そして、相手からは認めてもらう安心感(バリデーション)、応援、そして新しい視点を得ることができるのです。
だから、これは二者択一ではありません。癒やしのためのコンビネーション技なのです。日記はあなたを深く知る手助けをし、信頼できる人へ話すことはあなたが世界に捨てられたわけではないと確信させてくれます。一人きりの深夜には、日記が誠実な聞き手です。温もりと力が必要な時には、その信頼できる誰かが心の依り所です。
癒しの道では、自分が脆い部分も受け入れ、迷うことなくこの二つのツールを使ってください。きっとその道は霧の向こうへと続いているはずです。応援しています。
作成日時: 08-14 15:57:40更新日時: 08-14 16:58:30