ナヴァル氏はなぜ「宝くじで富を築く」という考え方に反対しているのでしょうか?

作成日時: 8/18/2025更新日時: 8/18/2025
回答 (1)

はい、この質問は本当に素晴らしいですね!多くの人が一夜にして大金を手にする夢を見ますが、宝くじはその近道のように見えます。しかし、ナバル(Naval Ravikant)の核心思想を理解すれば、彼がなぜこの考え方を強く否定するのかがわかるでしょう。

これは単なる「当選確率が低い」という問題ではなく、思考パターンの根深い問題です。わかりやすい言葉で解説してみます。


ナバルが「宝くじによる富」に反対する理由 ~数学の問題を超えた思考パターンの問題~

彼の考えは以下の視点から理解できます:

1. コントロール権を放棄し、運命を「純粋な運」に委ねる

例えば、A地点からB地点へ移動したいとします。

  • ナバルが推奨する方法: 運転を学び、地図を研究し、車を組み立てる(あるいは少なくとも良い車を購入し)、自分でハンドルを握って目的地へ向かう。途中、道に迷ったり車が故障したりするかもしれないが、その過程であなたは学び続け、プロセス全体に対するコントロール権を持っている。なぜ目的地に着けたのかが理解できる。
  • 宝くじの方法: A地点に立ち、目を閉じ、神風が自分を直接B地点へ吹き飛ばしてくれるのを待つ。

ナバルの核心理念の一つは 責任(Accountability) です。真の富の蓄積は、自身の行動と決断に完全に責任を持つことから生まれます。宝くじの購入は本質的に個人の責任を放棄し、自身の財務的な未来を、確率が極めて低く完全にコントロール不能な外部事象に依存させる行為です。これは「運任せ」のギャンブルであって、富の創造ではありません。

2. 「再現可能なシステム」ではない

これが最も重要なポイントです。

  • 富の創造者: 彼らはスキルを学び、製品を創造し、サービスを提供し、投資を行うことでシステムを構築します。例えば、プログラマーがアプリを開発すれば、そのアプリは継続的に収益を生み出します。たとえアプリが失敗しても、習得したプログラミングや製品開発の知識は残り、次のものを創造できます。これは再現可能で反復可能なプロセスです。
  • 宝くじ購入者: 仮に本当に1億円当たったとします。このお金はどうやって得られたのか? 純粋な運です。あなたは再び1億円を稼ぐためのスキルを何も習得していません。このお金を浪費してしまえば(多くの当選者はそうしています)、この成功を再現することはできず、結局また宝くじを買い、次なる神風を待つだけです。

ナバルは強調します:富とは身につけたスキルであり、一度限りの金銭的注入ではない。 真の「富裕層」とは、無一文になっても再び富を創造する能力を持つ人々です。一方、宝くじ当選者は単なる「金持ちの貧乏人」に過ぎません。

3. 期待値はマイナスになる「貧者の税」

数学的に言えば、宝くじは明らかな損得計算です。

簡単に言うと、宝くじの総賞金額は売上総額をはるかに下回ります。例えば、宝くじ機構が1億円分のくじを販売しても、賞金として分配されるのは5000万円程度で、残りは運営費、社会貢献、利益となります。

つまり、あなたがくじ1枚に100円(例:200円設定のため便宜上100円に換算)払うたび、そのくじの数学的期待値(全ての可能性のある利益の加重平均)は投資額(100円)を下回る(例えば50円)わけです。長期的には、必ず損をします。だからこそ、多くの人が宝くじを「貧者の税」や「無知の税」と呼び、確率を理解せず奇跡を願う人々を対象にしたものだと指摘するのです。

ナバルのような合理的な人物が、ルールの設計上損をすることが決まっているゲームに参加するわけがありません。

4. 「能動的創造」ではなく「受け身の待機」の思考を育む

人の思考パターンは、その行動と最終的な成果を決定します。

  • 宝くじ的な思考: 「どうすればお金を得られるか?」。この思考パターンは受動的であり、外部世界に富を授けられるのを待つものです。社会の不公平を嘆き、他人の幸運を妬み、はかない物事に希望を託します。
  • ナバル的な思考: 「どうすれば社会に独自の価値を創造し、その対価として社会からお金を得られるか?」。この思考パターンは能動的かつ創造的です。社会に必要なものは何か? 自分にはどんな独自のスキルがあるか? レバレッジ(コード、メディア、資本)をどう活用して自分のアウトプットを増幅できるか? を考えます。

長期的に宝くじを購入することは、絶えず「待機=受け身」の思考習慣を強化し、能動的に価値を創造する意欲と能力を失わせます。あなたは自分自身を創造者ではなく、待機者になるよう訓練しているのです。

まとめ

ナバルが反対しているのは「宝くじが当たるという棚ぼたの結果」自体ではなく、「宝くじ購入を富を築く戦略だと思う」 という考え方です。なぜならこの考え方は:

  • コントロールを放棄させ、純粋なる運に依存させる。
  • 富を創造する真のスキルを学ばせず、成功が再現できない。
  • 数学的には損益分岐点を下回る、合理性の対極にある。
  • 思考を蝕み、能動的な創造者から受動的な待機者へと変えてしまうからです。

彼が私たちに求めるのは、富のゲームのプレイヤーとなり、ルールを学び、スキルを習得し、自らプレイの場に立つことであって、空から餡餅(あんぺい)が落ちてくるのを脇で待つ観客になることではありません。

作成日時: 08-18 13:35:16更新日時: 08-18 16:09:17