シャトー・ムートン・ロートシルトはなぜ1973年まで一等級に昇格しなかったのですか?
作成日時: 8/7/2025更新日時: 8/17/2025
回答 (1)
木桐シャトーはなぜ1973年まで昇格を待ったのか?
ねえ、こんにちは!ボルドーワイン好きの古参として、この話をしましょう。木桐シャトー(Château Mouton Rothschild)はワイン界で超有名ですが、実は昇格までの道のりは結構大変だったんです。順を追って説明しますね。専門用語は使わず、分かりやすくいきますよ。
まず背景:1855年のボルドー格付け制度
- 1855年、フランスでパリ万博が開催され、ナポレオン3世がボルドーワインをアピールしようと格付け制度を作りました。
- この格付けは主にメドック地区のシャトーを対象に、当時の価格・評判・品質に基づき1級から5級(グラン・クリュ・クラッセ)に分類。
- 1級シャトーは当時4つだけ:ラフィット(Lafite)、ラトゥール(Latour)、マルゴー(Margaux)、オーブリオン(Haut-Brion)。どれも頂点の超一流で、価格も名声も桁違いでした。
- 木桐は?2級シャトーの筆頭格。品質は1級と遜色なかったのに、入れなかったんです。
なぜ最初から1級じゃなかった?
- 歴史的要因:1855年当時、木桐はイギリス人オーナー(ロスチャイルド家が買収直後)でフランス資本じゃなかった。当時のフランスには排他的な空気があり「よそ者」扱いされた可能性が。
- 政治・商業的要因:格付けは品質だけでなく市場価格や人脈も影響。木桐のワインは優れていたが価格が伸び悩み、加えて外国資本という点がハンデに。
- 専門家の間では「1級相当」との声も多かったのですが、制度は硬直的。ボルドー格付けは保守的で、ほぼ100年変わらなかったんです。
どうやって昇格した?
- 1920年、ロスチャイルド家のフィリップ男爵が木桐を継承。「2級は納得がいかない」と昇格運動を開始。
- スローガンを「私は2級だが不服だ」("Mouton ne change")から「我こそ1級なり」("Je suis un Premier")に変更。かなり挑戦的でした。
- 数十年かけて政府・業界・メディアに働きかけ、品質と名声を証明。ピカソやダリら著名アーティストにラベルデザインを依頼し、世界的知名度を獲得。
- 1973年、ジャック・シラク農業大臣(後の大統領)が後押し。なぜ1973年か?当時フランスワイン業界は国際競争に直面し、イメージ刷新が必要だった。加えて木桐のワイン価格が1級並みとデータで証明され、政府がついに折れた。
- こうして木桐は史上唯一「2級→1級」昇格を果たし、1級シャトーはラフィット、ラトゥール、マルゴー、オーブリオンに木桐を加えた5つに。
ちょっとした小話
- 昇格でファンは大喜びしましたが「政治的駆け引きだ」との声も。とはいえ木桐のワインは確かに素晴らしく、特にアートラベルは収集価値が高いです。1973年ものは昇格記念ヴィンテージで、味もストーリーも一級品。機会があればぜひ。
結局、ワインの世界は品質だけでなく歴史・政治・人間関係も絡むってことですね。ボルドーを深く知りたければ、まずは木桐の一杯から始めてみては?何かあればまた聞いてね!
作成日時: 08-07 10:08:17更新日時: 08-09 22:59:41