なぜ人間はいつも傷が癒えると痛みを忘れるのか?
これはなかなか興味深いテーマで、実は生理的メカニズムと心理的現象の両面から見ることができます。
1. 脳は賢い「怠け者」:あなたを生き残らせるために
私たちの脳をスーパーコンピューターだと想像してみてください。その最優先事項は、あなたが苦痛の中で生き続けることではなく、あなたの生存を保証することです。
- 記憶の優先順位: 脳が記憶する必要があるのは「何が危険を引き起こすか」であり、「その危険がどれほど痛かったか」ではありません。例えば、初めて熱いカップに触れたとき、脳が記憶するのは「この温度のカップ=危険、触るな」ということであり、将来にわたって毎日、火傷の灼熱感を繰り返し体験させることではありません。もし脳がすべての痛みをそのまま保存していたら、私たちは精神的に崩壊して、とっくに普通の生活を送れなくなっていたでしょう。「教訓」を記憶することの方が、「痛み」そのものを記憶することよりも、生存にとって費用対効果が高いのです。
- 感情の希薄化: 心理学には**「感情のフェーディングバイアス」(Fading Affect Bias)**という現象があります。簡単に言えば、時間が経つにつれて、ネガティブな感情(苦痛、悲しみなど)は、ポジティブな感情(喜び、興奮など)よりも早く、そして完全に薄れていくというものです。これは心理的な自己防衛であり、私たちがトラウマから立ち直り、前進し続けることを可能にします。そうでなければ、一度失恋したら、その心の痛みが一生強く残るなら、誰がまた恋をするでしょうか?
2. 記憶の「トリック」:私たちが覚えているのは事実ではなく、物語
私たちの記憶は高画質のビデオレコーダーではなく、むしろ「物語の編集者」のようなものです。
何かを思い出すたびに、私たちは元のファイルを100%引き出すのではなく、脳内でその物語をもう一度「語り」直しています。この過程で、私たちは無意識のうちにそれを修正し、単純化し、さらには歪めてしまいます。
苦痛な経験については、私たちは無意識のうちにそれを「合理化」したり、あるいはその曖昧な輪郭だけを記憶したりします。時間が経つにつれて、元の鋭い痛みは薄れ、「私はかつてひどい目に遭った」という曖昧な概念だけが残るのです。
3. 個人から集団へ:なぜ金融危機は常に繰り返されるのか?
この「傷が癒えると痛みを忘れる」という個人の特性を社会や市場に当てはめると、さらに興味深いことになります。これは、なぜ金融危機のような出来事が何度も繰り返されるのかを完璧に説明しています。
- 周期の誘惑: 市場には周期があります。一度の大暴落(例えば2008年の金融危機)は、ある世代に深く刻み込まれる「痛み」です。しかし、市場が回復すると、長い期間の上昇が訪れ、これが「傷が癒えた」状態です。
- 新規参入者の登場: 十数年が経ち、新世代の投資家が市場に参入します。彼らはその「痛み」を直接経験しておらず、彼らが見聞きするのは「誰々が数年前に底値で買い、今では経済的自由を手に入れた」という話です。彼らが見るのは傷跡ではなく、他人が回復して輝いている姿なのです。
- 「今回は違う」という呪縛: 前回の危機を経験した人でさえ、長期的な強気市場の中では、記憶は徐々に曖昧になります。貪欲が恐怖に打ち勝ち、人々は自分に言い訳をし始めます。「前回は不動産バブルだったが、今回はテクノロジー革命だ、ファンダメンタルズが違う!」と。これこそが典型的な「痛みを忘れた」状態であり、同じ行動パターンを繰り返すことになります。
- 生存者バイアス: 私たちは、危機後に「生き残り」、そして「うまくやっている」例をより多く目にしがちです。一方、破産して姿を消した失敗者たちの声は聞こえてきません。これが私たちの安易な考えをさらに助長するのです。
まとめ:
「傷が癒えると痛みを忘れる」というのは、本質的に人間が生存と発展のために進化させてきた自己防衛および修復メカニズムです。それは私たちが過去の重荷を下ろし、勇敢に挑戦し、冒険することを可能にします。
しかしその一方で、特に長期的な畏敬の念と合理性を保つ必要がある分野(例えば投資)においては、同じ過ちを繰り返すサイクルに陥りやすいという側面もあります。
したがって、重要なのは「痛み」の感覚を永遠に記憶することではなく、「痛み」の経験を、将来の行動を導くことができる「ルール」や「教訓」へと転化し、そしてそれらのルールを忘れないよう常に自分に言い聞かせることなのかもしれません。