何度も退職を考えた中で、最終的に続けることを選んだ理由は何ですか?

作成日時: 8/9/2025更新日時: 8/18/2025
回答 (1)

この質問は、まさに胸の内を突かれました。臨床現場で何年も働く看護師として、「辞職」という言葉は、「頑張れ」よりもずっと頻繁に頭をよぎってきました。

その感覚は、スマホの充電が常に10%を切っていて、いつ電源が落ちてもおかしくないのに、ギリギリのタイミングで充電スポットを見つけ、かろうじて命をつなぐようなものです。


「もう投げ出したくなる」瞬間

正直に言うと、辞めたくなる理由は一日中語り続けられます:

  • 心身の消耗: 連続深夜勤務に生理が重なり、救急対応で午後3時まで食事も取れず、帰宅後は喋る気力もない。自分の体ではなく、単なる仕事用の器になった気がする。
  • 心の傷: 理不尽な患者や家族に、全力で尽くしたのに罵声や非難を浴びる。自分の善意や専門性がここでは無価値に思えることさえある。
  • 価値観の喪失: 注射に薬の配布、記録書き…毎日単調な業務の繰り返しで、終わりの見えない流れ作業のよう。夜ふと「このままでいいのか?」と考える。
  • 家族への後悔: 祝日は必ず当番で、家族が病気でも駆けつけられない。この後悔の念が、いつも胸に刺さっている。

こうした思いが頂点に達すると、求人アプリを開いて「普通の定時上がりの仕事の方がマシだ」と考えます。

でもなぜ、結局残るのか?

無数の「もう明日辞表を出そう」という瀬戸際で、見えない糸に引かれるように戻ってきます。私にとっては主にこれらです:

1. ふとした「やりがい」の瞬間

おそらく最も重要で核心的な理由です。

仕事は厳しいけれど、全てが報われる瞬間がある。それは切れかけた電池に突然充電が入るようなものです。

  • 普段は不機嫌なおじいさんが、退院時にわざわざ来て「娘よ、前にあんな態度取ってすまなかった。ありがとう」と照れくさそうに言ってくれた時
  • 自分が救急対応した患者が数ヶ月後、家族と錦旗を持って訪れ「命の恩人だ」と手を握りしめてくれた時
  • 子供に注射したら泣かずに「看護師さん、すごいね!」と声をかけてくれた、そんな小さな瞬間

こうした瞬間に、自分の仕事が意味を持ち、誰かを助け価値を生んでいると実感します。この「必要とされている」「認められた」感覚は、他の仕事では得難いものです。

2. 共に戦う「戦友」の存在

病院は不思議な場所で、人間の複雑さを目の当たりにする一方、固い「戦友」の絆も育みます。

深夜勤務を共に乗り越え、厄介な家族の対応を代わりに引き受け、崩れそうな時「わかるよ」と肩を叩き、更衣室で愚痴った後涙を拭ってまた戦線に立つ仲間がいます。

この「戦友」の絆が、多くの人を支える力になります。同じ苦しみを分かち合い、同じ感動を共有する仲間がいる。皆が互いの「充電器」なのです。

3. 「必要とされる」自分

緊急事態や救急コールが鳴った時、骨の髄まで染みついた職業本能が目覚めます。普段愚痴る脆い自分は消え、冷静でプロフェッショナルな自分が現れるのです。

生死を分ける瞬間、自分の知識や技術が確かに命を救えると実感します。この強烈な「必要とされている実感」が、職業への畏敬と誇りを生む。大変だけど、素晴らしい「技」を身につけていると思うのです。

4. 現実的な事情と「未練」

率直に言えば、この仕事は大変でも安定して家族を養えます。一般人にとってこれは大切な基盤です。

また「ここまでやってきたのに」という未練もあります。専門知識を学び、資格を取り、臨床で鍛え、経験を積んできたのに、一時の困難で全てを捨て一から始めるのか?この埋没費用が決断をためらわせるのです。


最後に

何度も辞めたいと思いながら続けてこられた理由は?

おそらく、小さく輝く「やりがい」で、巨大な「苦しみ」に抗ってきたからでしょう。

辞めたい思いは波のように押し寄せます。でも温かい瞬間や仲間の支え、職業への誇りは海岸の岩のよう。波に覆われ苦しくても、潮が引けばまた現れる。

続けるのは、諦めなかったからではなく、諦めかけた道のりで、一歩踏み出す理由を見つけられたからです。

作成日時: 08-09 03:42:09更新日時: 08-10 03:21:22