これら二つの最も核となる共通点は、どちらも絶対的に信頼でき、疑いようのない「原点」を探し求めているという点です。
このように理解してください。
デカルトは当時、「私たちが知覚するすべてが本当に真実だとどうして言えるのか?もしかしたら夢を見ているのかもしれない。もしかしたら悪魔に騙されているのかもしれない」と考えました。彼はあらゆることを疑ってみて、ほとんど何も絶対的に信頼できるものはないと気づきました。
しかし、彼はある一点にハッとひらめきました。たとえ私がすべてを疑っても、たとえ私が騙されていても、「私が疑っている」「私が考えている」という事実そのものは疑うことができない。私が考えている限り、その「考えている私」は必然的に存在する、と。
「我思う、ゆえに我あり」は、彼の哲学体系の最初の基礎、つまり絶対的に揺るぎなく、そこから他のすべてを演繹できる出発点となりました。彼は、それ以上分解したり疑問視したりできない「第一原理」を見つけたのです。
そして、私たちが現在よく口にする「第一原理」思考法も、実は同じことをしているのですが、応用範囲がより広いだけです。
例えば、ある人が車を作りたいと考えたとき、彼には二つの考え方があります。
- 類推思考:他人がどう車を作っているかを見る。「ああ、エンジンがあって、4つの車輪があって、ボディがあるな」と。そして、それらのものを少しでも良く、少しでも安くする方法を考えます。これは私たちのほとんどが問題を考える方法であり、他人が描いた枠の中で最適化を図るものです。
- 第一原理思考:彼は「車」の本質とは何か?と問いかけます。それは「人をA地点からB地点へ移動させるための道具」である。では、この本質を実現するために、エンジンと4つの車輪が必須なのか?そうとは限らない。その基本的な構成要素は何なのか?それは、移動を実現する動力、重量を支える構造、方向を制御するシステムなどです。これらの最も基本的な物理法則とニーズこそが、車を作るという行為の「第一原理」なのです。これらの原点から出発すれば、電気自動車を作る、あるいは「テレポート装置」のような全く新しいものを考案することさえ可能になります。
ですから、ご覧の通り、これら二つの核となる精神は全く同じです。
既成の、他者から与えられた結論や常識を受け入れることに満足せず、玉ねぎの皮を剥くように、一層ずつ問題を剥がしていき、最も核となる、最も基礎的な、これ以上疑いようのない真実(原点)を見つけるまで掘り下げ、そしてその真実から出発して、あなたの認識と解決策を再構築する。
一方は哲学において「存在」の原点を探し、もう一方は現実において「問題」の原点を探しています。どちらも「根本に戻り、ゼロから考え直す」思考様式なのです。