科学と哲学において、なぜ人は「還元不可能な真理」を追求するのか?

Molly Archer
Molly Archer
Expert in ancient Greek philosophy.

例えるなら、私たちの持つすべての知識や道理を、レゴブロックで築かれた巨大な城だと想像してみてください。

この城は、非常に壮大で複雑に見え、美しい塔や部屋がたくさんあるかもしれません。しかし問題は、もし一番下のブロックが泥でできていたり、ただ適当に積み重ねられていたりしたら、城全体がいつ崩れてもおかしくないということです。一陣の風、一降りの雨、あるいは誰かが軽く押しただけで、全てが台無しになってしまいます。

「これ以上分解できない真理」を追求するというのは、私たちの「知識の城」にとって、最も頑丈で信頼できる「土台」と「基礎ブロック」を探すことに他なりません。

**科学においては、**この「基礎ブロック」は、「エネルギー保存の法則」や「万有引力の法則」のような基本的な物理法則です。科学者たちは、「リンゴが地面に落ちる」という現象に満足せず、深く掘り下げていきます。なぜ落ちるのか?それは引力があるからだ。引力とは何か?それは質量によって時空が歪むことだ。彼らは、最も根源的で、すべてを説明し、これ以上分解できない規則を見つけたいのです。この規則を見つけさえすれば、私たちはそれを使って、惑星の軌道からブラックホールに至るまで、数え切れないほどの他の現象を説明し予測することができます。さらには、ロケットや人工衛星を作ることも可能です。土台を見つければ、本当に頑丈な高層ビルを建てられるのです。

**哲学においても、**同じことが言えます。例えば、デカルトの有名な言葉「我思う、ゆえに我あり」です。彼は当時、「私はすべてを疑うことができるだろうか?」と考えました。私が見ている世界は偽物かもしれない、私が聞いている音は幻覚かもしれない、私の体さえ存在しないかもしれない、と。彼はあらゆるものを解体していき、最終的に、どうしても解体できず、疑うこともできない唯一の事柄があることに気づきました。それは「私が疑っている」という事実そのものです。私が疑い、考えている以上、この「考えている私」は必然的に存在する、と。これが、彼が自身の哲学の大建築のために見つけた「これ以上分解できない」礎石です。この礎石から出発して初めて、彼は世界や神に対する自身の認識を再構築し始めることができたのです。

では、なぜ私たちはこれほどまでに、この「何か」を探し求めることにこだわるのでしょうか?

  1. 安心感と確実性のため。 その上に築かれた知識体系こそが、最も安定し、最も信頼できるものです。それは、私たちの認識の殿堂が簡単に崩壊しないようにし、複雑な世界に直面したときに確かな自信を与えてくれます。
  2. 真の創造性のため。 最も根源的な規則を理解して初めて、あなたは単に模倣や繰り返しをするのではなく、真に創造し、問題を解決することができます。料理人がレシピを覚えているだけでは、決して新しい料理は生み出せません。しかし、彼が酸味、甘味、苦味、塩味、旨味の組み合わせにおける根源的な原理(第一原理)を理解していれば、無限の美食を創造できるのです。
  3. 簡潔さと優雅さのため。 世界は複雑に見えますが、多くの場合、そのすべてを動かす根源的な法則は驚くほど簡潔です。その最も根本的な「一つ」を見つけ出し、それを使って「万物」を説明すること自体が、知恵と美しさに満ちた行為なのです。

要するに、これは徹底的に探求する精神であり、「みんながそう言っているから」ということに満足せず、「世界は本来こうである」というその源流を自ら掘り当てたいという思いなのです。