山崎蒸溜所はなぜ「日本ウイスキー発祥の地」と称されるのですか?
ああ、山崎について話すなら、これは良い質問ですね。『日本のウイスキー発祥の地』と呼んでも、決して過言ではありません。
分かりやすく言うと、山崎以前は、日本で本格的に自社生産されたウイスキーは存在しなかったのです。
この話は、およそ100年前に遡ります。
当時、鳥井信治郎(現在のサントリー創業者)という傑物がいました。彼はワイン販売で財を成しましたが、彼の心には、より大きな夢がありました。それは、『スコットランドに劣らない、真に日本人によるウイスキーを日本で作る』というものでした。
しかし、夢だけでは実現しません。技術が必要です。そこで彼は、もう一人の偉大な人物、竹鶴政孝を招き入れました。竹鶴氏はさらに凄腕で、まさに『技術オタク』でした。自らスコットランドに渡り、いくつかの蒸溜所で修行を積み、ウイスキー造りの真髄を全て学び尽くしました。そして、スコットランド人の妻を娶るほどでした。彼は、ぎっしり書き込まれたノートと豊富な経験を携えて日本に戻ってきました。
一方は資金と夢を持ち、もう一方は技術と経験を持つ。この二人は意気投合しました。
次に、工場を建てる場所選びです。彼らは日本中を駆け巡り、最終的に京都郊外の山崎という場所を選びました。なぜここだったのでしょうか?
- 良質な水:山崎の水は非常に有名で、茶道の大家である千利休もこの地の水を称賛しました。酒造りにおいて、水は魂です。良い水があってこそ、良い酒が生まれます。
- 適した気候:この地の気候は湿潤で温暖、かつ寒暖差も大きく、スコットランドの特定の産地と似ています。ウイスキーが樽の中でゆっくりと『成長』(熟成)するのに特に適しています。
こうして1923年、日本初のモルトウイスキー蒸溜所である山崎蒸溜所が、この地に誕生しました。1929年には、彼らは真の意味での日本産ウイスキー第一号となる『白札』を発売しました。
ですから、山崎は『日本でウイスキーを造る』というアイデアを初めて現実のものとした場所なのです。そこには、先見の明を持つ最初の創業者、スコットランドから技術を学んで帰国した最初の技術の達人、そして丹念に選ばれた最初の建設適地がありました。
その後、技術の達人である竹鶴氏は理念の違いから、自ら北海道に余市蒸溜所(後のニッカウヰスキーの始まり)を設立しましたが、しかし、その物語の出発点、日本の地に最初の杭を打ち、最初の蒸溜の火を灯したのは、山崎なのです。
したがって、その後に続く全ての日本ウイスキーは、今どれほど有名であろうと、山崎を『大先輩』と呼ばざるを得ません。『発祥の地』という称号は、まさに山崎にふさわしいものです。