富士山はどのようにして日本の国家的象徴となったのか?その過程はいつ頃起こったのか?
はい、富士山についてお話ししましょう。
日本と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、雪を頂いた完璧な円錐形の火山、富士山ではないでしょうか。富士山が日本の国家的象徴となったのは、一朝一夕のことでも、政府が突然「選定」したわけでもありません。千年以上の歳月をかけ、宗教、芸術、大衆文化が共に「育んできた」過程の結果なのです。
富士山はいつ国家的象徴となったのか? ― 長い「育成」の過程
端的に言えば、富士山が広く知れ渡り、国民全体に深く根付いた象徴となった**決定的な時期は江戸時代(1603年~1868年)**にあります。しかし、その「神格」や文化的地位は、もっと前から始まっていました。
この過程は、まるでスターの成長史のように見ることができます:
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古代/平安時代(およそ8世紀~12世紀):頭角を現す
- この時代、富士山は畏敬の念をもって見られる自然の存在が主でした。噴火もあり静穏もある山を古代人は見て、そこにはきっと神が住むと考えました。日本最古の歌集『万葉集』にも、その雄大さをたたえる歌人の作品があります。この頃の富士山は、貴族や文化人にとっての「荘厳な風景」「神の山」であり、一般庶民にとってはまだ遠い存在でした。
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鎌倉/室町時代(およそ12世紀~16世紀):ファンを増やす
- 仏教や山岳修行の宗教「修験道」の発展に伴い、富士山は重要な修行の場となりました。僧侶や修行者たちは富士山に登攀し、神仏の世界に通じる「聖地」と見なすようになります。この時期、宗教界における富士山の地位は大きく向上し、水墨画にも描かれるなど、その形象はより具体的になってきました。
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江戸時代(1603年~1868年):人気爆発、国民的アイコンへ
- この約260年間が富士山「神格化」の決定的な時期です。理由は主に三点:
- 平和と交通: 徳川幕府下で社会が安定し、民衆の生活水準が向上。国内の「観光」が盛んになりました。江戸(現・東京)と京を結ぶ「東海道」は当時最も賑わう街道で、この道からは富士山の雄大な景色を一望できたのです。
- 「富士講(ふじこう)」の流行: 富士信仰の民衆グループである「富士講」が多数生まれました。彼らは信徒を定期的に組織して富士登山(巡礼)を行わせました。これにより富士山はもはや修行者の独占物ではなく、一般庶民が親しみ崇拝できる対象となったのです。
- 芸術の頂点による拡散―浮世絵: これが最も重要なポイントです! 葛飾北斎の『富嶽三十六景』、歌川広重による多くの富士山を背景とした作品。当時、これらの木版画(浮世絵)は安価で楽しめるアート、現代でいうポスターや絵葉書のようなものでした。大量に印刷され、日本中に広まりました。絵の中の富士山は、農夫が田を耕す背景であり、漁船が浮かぶ沖合の遠景でもありました。それは人々の暮らしに溶け込んだのです。まさに浮世絵を通して、富士山の形象は日本人全員の心に深く刻み込まれました。
- この約260年間が富士山「神格化」の決定的な時期です。理由は主に三点:
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明治時代以降(1868年~現在):公式認定、世界へ
- 近代に入り、日本は近代国家建設を進めます。政府は日本の民族的象徴となるシンボルを必要としました。その雄大さ、美しさ、悠久の姿を持つ富士山が選ばれたのです。紙幣や切手に印刷され、教科書に掲載されることで、「文化的アイコン」から正式に「国家的象徴」へと昇格しました。その後、日本の国際交流が増えるにつれ、この形象は世界へも広まっていきました。
富士山は「どのようにして」国家的象徴になったのか? ― 幾つかの要素の見事な結合
時系列を踏まえ、富士山が抜きんでた具体的な要因を見ていきます。
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生まれ持った容姿:唯一無二の完璧な外形
- 要するに、姿が美しいのです。ほぼ完全な円錐形で頂には白い雪、優雅かつ荘厳な姿。他の山々のような連峰ではなく、単独で平野にそびえ立つ姿は極めて特徴的で、一度見たら忘れられません。
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宗教信仰の後押し:神の山から修行の地へ
- まず、火を噴く火山として人々に畏怖され、「神」として崇められました。神道では女神「コノハナノサクヤヒメ」の住まいとされます。その後、仏教徒や修行者にとっての聖地となりました。こうした神聖さが、富士山に深い文化的奥行きを加えたのです。
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芸術と文学による拡散:形象を心に根付かせる
- 古来より、無数の詩歌や絵画が富士山を描いてきました。特に江戸時代の浮世絵は、「身近な」方法で、あらゆる人にさまざまな季節、角度、生活シーンにおける富士山の美しを見せました。芸術が富士山のイメージをどこにでもあるものにしたのです。
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庶民の生活との密接な結びつき
- 江戸時代の交通と旅の発達で、富士山はもはや遥か遠い伝説ではなくなりました。道を急ぐ商人も、巡礼する信徒も、実際にその目で見られるようになったのです。それは人々の共通の記憶、共通の話題となりました。天気の良い日には東京からも遠望でき、まるで懐かしい友人のように、いつも人々の傍らにあり続けました。
まとめよう
こうして、富士山が日本の象徴となったのは決して偶然ではありません。
まず第一に、**比類なき完璧な外形(見た目)を持ち、その上で神聖な宗教的意義(内面)を付与されます。さらに江戸時代に浮世絵芸術と大衆化した旅行(宣伝と普及)によって、その形象は全ての庶民の心に深く届き、最後に近代になって国家意思(公式認定)**によって日本のシンボルとして正式に位置付けられたのです。
自然崇拝に始まり、宗教的聖地を経て、芸術の主題となり、ついに民族的精神の象徴へと昇華した模範です。それは上から(貴族・文化人)も下から(庶民)も共に形作ってきた文化的シンボルなのです。