「私たちは仮想世界に生きているのか」についての一考察
いやあ、この問い、めちゃくちゃクールですよね!「今日の天気どう?」なんて単純な話じゃなくて、深夜に頭の中がグルグルするような、まさに哲学的な問いです。『マトリックス』のようなSF映画が、このアイデアを存分に探求してきました。あれこれ考えを巡らせるのが好きな「オールドネットユーザー」として、私もこの件についてあれこれ考えてみました。なるべく分かりやすく、私の見解を述べていきますね。
なぜ、世界は仮想だと考える人がいるのか?(「賛成派」の見解)
この考えは「シミュレーション仮説」と呼ばれています。この説に納得する人は、たいてい以下のような「証拠」や考え方を挙げます。
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論理的な推論による可能性
- この理論の最も有名な支持者である哲学者ニック・ボストロムは、非常にシンプルな論理を提示しました。
- 考えてみてください。もしある文明が発展を続けたら、その科学技術レベルは最終的に、私たちが今プレイしているような高度なシミュレーションゲームのように、極めてリアルな仮想世界を作り出せるようになるでしょう。ただし、その中の「キャラクター」(NPC)でさえ自己意識を持つレベルにまで。
- 一つ作れるなら、無限に作れるはずです。
- だとすると、「一つの現実の宇宙」と「無数の仮想の宇宙」の間で、あなたが自己意識を持つ存在として、唯一の現実の宇宙に偶然「生まれる」確率は、無数の仮想宇宙の一つに生まれる確率よりも、はるかに低いのではないでしょうか?確率論的に見れば、私たちが「シミュレーションされた存在」である可能性が非常に高い、ということになります。
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宇宙の「規則性」が強すぎる
- 私たちの宇宙は、重力や光速など、非常に正確で揺るぎない物理法則によって支配されています。
- これはランダムな混沌の産物というよりは、むしろ精巧にプログラミングされた「コード」のように見えます。まるでゲームの物理エンジンが、あらゆるものの動きを規定しているかのようです。
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量子世界の「奇妙な」振る舞い
- ミクロな量子世界では、奇妙な現象がたくさん起こります。例えば、ある粒子はあなたが「観測」する前には不確定な重ね合わせの状態にあるように見え、一度観測するとその状態が確定します。
- これって、どこかで聞いた話じゃないですか?まるでゲームが計算リソースを節約するために、あなたが特定の方向を「見た」ときにだけ、その場所の画面を詳細にレンダリングし始めるのと同じではありませんか?見ていない間は、それらのものは単なるデータであり、「描画」する必要はない、というように。
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宇宙に「解像度」があるように見える
- 科学者たちは、私たちの宇宙におけるエネルギー、時間、空間は無限に分割できるものではなく、「プランク長」や「プランク時間」と呼ばれる最小単位が存在することを発見しました。
- これはコンピューター画面のピクセル点のようなものです。いくら拡大しても、一つのピクセル点よりも小さいものは見えません。もし世界が仮想であれば、このような「最小単位」、あるいは「解像度」が存在するのは非常に理にかなっています。
なぜ、多くの人が世界は現実だと考えるのか?(「反対派」の見解)
もちろん、この考えは非常にSF的ですが、世界が現実だと信じる多くの理由も存在します。
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オッカムの剃刀の原則
- これは非常に古典的な哲学原理で、「不必要な実体を増やしてはならない」という意味です。つまり、あらゆる説明の中で、最もシンプルなものが最も信頼できる、ということです。
- 「世界は現実である」という説明は、「世界は超文明によってスーパーコンピューターでシミュレーションされた仮想プログラムである」という説明よりもはるかにシンプルです。後者は、さらに「より高次元の現実世界」と「とてつもないシミュレーター」を仮定する必要があり、複雑すぎます。
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実際の証拠が一切ない
- 上で挙げた「賛成派」のすべての見解は、単なる類推と推測に基づいています。世界が仮想であると証明する直接的で検証可能な証拠は、何一つありません。
- 物理法則の「規則性」も、宇宙の自然な属性として説明でき、わざわざ「コード」を持ち出す必要はありません。
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「シミュレーターをシミュレートしたのは誰か?」という無限ループ
- もし私たちがシミュレーションされたプログラムだとしたら、私たちをシミュレーションした文明は現実なのでしょうか?それとも、彼らもまたさらに高度な文明にシミュレーションされているのでしょうか?
- このように階層が重なっていくと、きりがありません。
では、この問いは私たち一般人にとって、どんな意味があるのか?
ここまで話してきて、あなたはこう思うかもしれません。「で、それがどうした?たとえ世界が仮想だとしても、それが何になるんだ?」と。
ここが問題の核心です。私の意見では、答えが何であれ、私たちの現在の生活に実質的な影響はありません。
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あなたの感情は現実のものです。 あなたが「現実の」物理世界にいようと、「仮想の」データ世界にいようと、あなたが感じる喜び、悲しみ、愛、苦痛は、あなたにとって100%現実のものです。火鍋を食べたときの辛さや、愛する人を抱きしめたときの温かさは、世界が仮想だからといって価値が下がるわけではありません。
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ルールはルールです。 たとえ物理法則が「コード」だとしても、それは私たちが従わなければならないルールです。自分が仮想だと疑っているからといって、高層ビルから飛び降りて、ゲームキャラクターのように復活できると期待するわけにはいきません。この「ゲーム」のルールはそう設定されているのですから。
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意味はあなたが創造します。 人生の意味は、あなた自身が与えるものです。あなたの目標、あなたの夢、他者との関係、これらがあなたの人生の価値を構成します。仮想世界で生み出された偉大な芸術作品と、現実世界で生み出されたものとで、どちらがより価値がないでしょうか?私は同じだと思います。
まとめ
「この世界は仮想なのか?」という問いは、私たちの「現実」の定義に挑戦し、存在の本質について考えさせる素晴らしい思考実験です。
この問いは、現時点では証明も反証もできません。面白いSF的な設定として捉えることができます。
だから、世界の真偽に囚われるよりも、私たちが唯一知覚できるこの「バージョン」を存分に体験し、より素晴らしいものにするよう努力する方が良いでしょう。結局のところ、たとえゲームだとしても、楽しまなくちゃ損ですよね?