ニュース報道において真の客観性は本当に達成可能でしょうか?なぜですか?

幹 里佳
幹 里佳
Aspiring news analyst, currently a journalism student.

これは本当に良い質問で、多くの人がこの疑問を抱いています。

私の見解はこうです。絶対的で完全な客観性は、現実にはほとんど実現不可能です。しかし、それは報道業界が常に追い求めるべき「理想の状態」であり、まるで灯台のようなものです。

なぜそれがほとんど実現不可能だと言えるのでしょうか?主な理由はいくつかあります。

  1. 記者は人間であり、機械ではありません。 人間である限り、それぞれが育った背景、教育経験、価値観、個人的な感情、さらには潜在意識下の好みを持っています。これは、誰もが唯一無二の「色眼鏡」をかけているようなもので、物事を100%「ありのまま」に見ることはできません。記者が何を報じ、何を報じないかを決定する際、その「選択」自体がすでに主観的な判断なのです。

  2. ニュースが生まれる過程そのものが、「選択」の連続です。 考えてみてください。

    • 題材選び: 毎日世界中で無数の出来事が起こりますが、なぜこの出来事だけが報じる価値があるのでしょうか?ある報道が「書く価値があるか」を判断すること自体が主観的です。
    • 取材対象選び: ある出来事には、当事者、目撃者、専門家、政府関係者、反対者など、様々な人々が関わっています。誰に取材し、誰の発言を主要な部分に据えるか?これは報道が提示する様相に大きく影響します。
    • 言葉選び: 同じ行為でも、非常に中立的な言葉を使うこともできれば、感情的なニュアンスを含む言葉を使うこともできます。例えば、「抗議者」なのか「騒動を起こす者」なのか?「改革」なのか「混乱」なのか?たった一語の違いが、読者に与える印象を全く異なるものにします。
    • 編集・取捨選択: 長いインタビューも、最終的には数十秒しか使われないかもしれません。長い報告書も、最終的には数百文字しか抜粋されないかもしれません。何を削除し、何を残すかというこの過程も、同様に主観的な判断に満ちています。
  3. メディア機関自体にも立場があります。 報道機関は真空の中で活動しているわけではありません。その背後には営利企業があり、収益や視聴率/クリック数を考慮する必要があります。また、その国や地域の政治的環境の影響を受けることもあります。これらの要因が、報道における傾向に影響を与えます。

では、実現できないのに、なぜ「客観性」を語る必要があるのでしょうか?

なぜなら、「客観性を追求すること」は、非常に重要な職業倫理であり、方法論だからです。優れた記者は、自分自身に人間の弱点や偏見があることを知っているため、その主観性を最大限に打ち消すための専門的なプロセスを用います。

そのため、現在では多くのベテラン報道関係者が、「公正性」(Fairness)、「バランス」(Balance)、「正確性」(Accuracy)といった言葉を好んで使います。

つまり、こういうことです。

  • 私は神の視点のような「客観性」を達成できないことを認めますが、公正であるよう努め、いかなる側にも偏りません。
  • 私はバランスを取るよう努め、出来事に関わる全ての関係者、特に反対側の意見も提示し、読者自身が判断できるようにします。
  • 私は正確性という最低ラインを厳守し、あらゆる事実を繰り返し確認し、報じる情報が信頼できる情報源に基づき、内容が真実であることを確実にします。

したがって、「客観性」とは、一種の職業精神として理解することができます。それは「状態」ではなく、「行動」なのです。 記者が自身の偏見と絶えず闘い、専門的な方法を用いて事実そのものに限りなく近づこうとすることを要求します。これこそが、その真の価値なのです。