なぜポムロールとサンテミリオンは1855年の格付けに含まれなかったのですか?

作成日時: 8/7/2025更新日時: 8/18/2025
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なぜポムロールとサン・テミリオンは1855年格付けに含まれなかったのか?

へえ、面白い質問だね。僕もボルドーワインを結構長く楽しんでるから、簡単に説明するね。まず全体像から話そう、わかりやすくするために。

1855年格付けとは何か

1855年、パリ万国博覧会が開催された時、ボルドーは自らのワインの素晴らしさをアピールしようとしたんだ。地元の商業会議所(ブローカーたち)が、シャトーの評判と過去の販売価格に基づいて、赤ワインと甘口白ワインを対象に、1級から5級までの格付けを作った。このシステムは超有名で、今でもボルドーワインの価格や地位に影響を与えている。でも実は、ボルドー全域を網羅したわけじゃないんだ。

ボルドーの簡単な地図分け

ボルドー産地はジロンド川を境に「左岸」と「右岸」に分かれる:

  • 左岸:主にメドック地区。ラフィットやマルゴーといった超有名シャトーを抱え、高級赤ワインの産地。
  • 右岸:ポムロール(Pomerol)とサン・テミリオン(Saint-Émilion)を含む。土壌や品種が異なり、メルロー主体でより柔らかいスタイルのワインが多い。

1855年の格付けは、主に左岸のメドック赤ワインと、ソーテルヌ(Sauternes)、バルサック(Barsac)の甘口白ワインが対象だった。なぜか?当時これらの地域のワインが国際的に最も有名で高値で取引されており、ブローカーたちは万博でボルドーの最高峰をアピールするため、優先的に選んだから。つまり「商業的な判断」だったわけ。

ポムロールとサン・テミリオンが除外された理由

  1. 地理的範囲の問題:格付けは商業会議所が定めたもので、対象は左岸のメドックやソーテルヌに限定されていた。当時、右岸のポムロールとサン・テミリオンは「中核地域」と見なされていなかった。ポムロールは小産地で、19世紀半ばにはまだ無名に近く、多くのシャトーは輸出すらほとんどしていなかった。サン・テミリオンは歴史は古いが、左岸ほどの評価は得られていなかった。

  2. 歴史的なタイミング:1855年当時、ポムロールワインはまだ注目されていなかった。今では超高級ワインのペトリュス(Pétrus)でさえ、当時は小さなシャトーに過ぎず、20世紀、特に戦後になって著名人に愛されたことで有名になった。サン・テミリオンも同様で、当時の取引の焦点は左岸に集中していた。

  3. 格付けの限定的な目的:このシステムは元々ボルドー全体を対象に設計されたものではない。当時の価格とブローカーの判断に基づいて作成され、全地域を網羅する意図はなかった。その後、右岸は独自の格付けを制定:サン・テミリオンは1955年に独自の格付け(10年ごとに更新)を設け、ポムロールは今でも正式な格付けを持たないが、品質と評価で確固たる地位を築いている。

要するに、これは「歴史的な経緯」——1855年格付けは特定の時代の産物で、左岸偏重だったんだ。今ポムロールやサン・テミリオンのワインを飲むなら心配無用、左岸のものより高価で優れたものも多いよ!例えばペトリュスやオーソンヌ(Ausone)を試してみて、確実に1級シャトーに引けを取らないから。他に質問あったら、どんどん聞いてね。🍷

作成日時: 08-07 10:07:53更新日時: 08-09 22:59:20