なぜ日本のウイスキーは「衰退—復興—繁栄」のサイクルを経験したのでしょうか?

Martine Marchand
Martine Marchand
Renowned whisky sommelier and spirits critic.

この話は、まるで波乱万丈のドラマを見ているようで、なかなか面白いものです。日本のウイスキーがこの数十年で経験したことは、簡単に言えば「嫌われる → 受賞する → 奪い合いになる」という3つの段階に分けられます。

第一段階:衰退期(1980年代後半から2000年代初頭頃)- 「おじいさんが飲む酒」

考えてみてください。1980年代に日本のバブル経済が崩壊し、皆の懐事情が厳しくなりました。かつて高級バーでウイスキーを一杯楽しむような日々は過去のものとなりました。これが大きな背景です。

さらに重要なのは、当時の日本の若者の好みが変わったことです。彼らの目には、ウイスキーは父親や祖父の世代が飲む「おじいさんの飲み物」であり、高価で度数が高く、非常に古臭いものに映りました。若者たちはビールや焼酎、あるいは果汁で割ったチューハイなど、もっと気軽に飲めておしゃれなものを好むようになりました。

その結果どうなったか?ウイスキーは売れなくなりました。蒸溜所は非常に苦しい状況に陥り、大量に減産せざるを得ず、中には閉鎖に追い込まれたところもありました(例えば、現在では高値で取引される軽井沢や羽生は、当時閉鎖された蒸溜所です)。当時の彼らは、まさか今日、これらのウイスキーがこれほど貴重なものになるとは想像もしていなかったでしょう。この時期の「減産」が、後の「品薄」の伏線となったのです。

第二段階:復興期(2000年代初頭から2010年頃)- 「うちの製品、こんなにすごかったの?」

転換点は非常に劇的に訪れました。簡単に言えば、「壁の中で咲いた花が、壁の外で香る」という状況です。

日本のウイスキー職人たちは、実は常に努力を続けていました。彼らはスコットランドの技術を学びつつも、東洋人の味覚に最も合う繊細でバランスの取れたウイスキーを造ろうと、ひたすら改良を重ねていました。しかし、国内では誰もその価値を認めてくれませんでした。

2001年、イギリスの権威ある『ウイスキーマガジン』がブラインドテイスティングコンテストを開催し、ニッカの「余市10年」が最高得点を獲得しました。そして2003年には、サントリーの「山崎12年」がISC国際スピリッツチャレンジで金賞を受賞しました。

これには世界中のウイスキー愛好家が度肝を抜かれました。皆が口々に言いました。「え?日本もウイスキーを造ってるの?しかもこんなにすごいなんて!」

このニュースが日本国内に伝わると、日本人自身も驚きました。「まさか、自分たちの国の製品が国際的にこんなに評価されていたなんて!」まるで、近所の目立たない若者が突然アカデミー賞を受賞したようなものです。あなたも彼を見る目が変わるでしょう?

時を同じくして、サントリーは日本国内で非常に成功したマーケティングを展開しました。それが「ハイボール」(ウイスキーをソーダ水と氷で割ったもの)の普及です。彼らはこの飲み方を非常にスタイリッシュで爽やか、食事にも合うものとして売り出し、一気に若者の心をつかみました。ウイスキーはもはや古臭い強い酒ではなく、気軽に楽しめるトレンディな飲み物へと変貌を遂げたのです。

こうして、**「国際的な受賞」「国内でのマーケティング」**という二つの柱によって、日本ウイスキーの国内人気は急速に回復し始めました。

第三段階:繁栄期(2010年から現在)- 「一瓶が手に入らない、価格が高騰」

復興の後は、完全な爆発と繁栄が訪れました。

2014年、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝と彼のスコットランド人妻の物語を描いたドラマ『マッサン』が日本中で大ヒットしました。このドラマは、日本ウイスキーの職人魂とロマンチックな歴史を余すところなく伝え、その人気にさらに火をつけました。

さらに決定的なのは、国際的な賞を次々と獲得したことです。特に2015年には、ジム・マーレイの『ウイスキーバイブル』がサントリーの「山崎シェリーカスク2013」を「ワールド・ウイスキー・オブ・ザ・イヤー」に選びました。これは世界のウイスキー業界にとっての一大ニュースであり、ウイスキー界のノーベル賞に匹敵する出来事でした。

こうなると、世界中の注目が日本ウイスキーに集まりました。誰もがこの「世界一」がどんな味なのかを試してみたいと思ったのです。

しかし、ここで問題が発生しました。衰退期に蒸溜所が減産していたことを覚えているでしょうか?ウイスキーは熟成に時間がかかるものです。10年前、20年前にそれほど多く生産されていなかったため、当然ながら今、市場に出せる熟成されたウイスキーは多くありません。

需要の爆発的な増加 + 在庫の希少性 = 価格の急騰。

その結果、今日私たちが目にしている状況が生まれました。かつては入門用だった山崎12年や白州12年といった銘柄は、価格が数倍に跳ね上がり、入手困難になっています。年数表記のあるウイスキー(例えば18年、25年)に至っては、オークションで取引される高級品と化しています。

まとめると:

  1. 衰退:経済不況に加え、若者から古臭いと思われ、飲まれなくなり、蒸溜所は減産を余儀なくされました。
  2. 復興:国際的なブラインドテイスティングで受賞し、その実力が世界に認められ、衝撃を与えました。同時に、国内ではハイボールのマーケティングを通じて、再びおしゃれな飲み物として人気を取り戻しました。
  3. 繁栄:「世界一」という最高の栄誉を獲得し、ドラマの追い風もあって、世界的な需要が爆発しました。しかし、初期の減産による在庫不足のため、希少価値が高まり、価格は高騰の一途をたどり、スピリッツ界のスターとなりました。

現在の状況としては、多くの老舗蒸溜所が原酒不足のため、年数表記のある定番商品を生産中止し、ノンエイジ(NAS)製品を販売するようになっています。同時に、このブームに乗ろうと、新設の小規模蒸溜所も数多く登場しています。日本ウイスキーの物語は、まだまだ続いていると言えるでしょう。