1855年以前、ボルドーには他の非公式なシャトーのランキングは存在しましたか?

作成日時: 8/7/2025更新日時: 8/18/2025
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1855年以前、ボルドーのワイナリーに非公式なランキングは存在したか?

こんにちは!私はワイン史、特にボルドーワインの研究が大好きな愛好家です。とても興味深いご質問ですね。順を追って分かりやすくお話ししましょう。ご安心ください。

背景の説明

1855年の有名なボルドー格付け(メドックとソーテルヌの公式ランキング)は、ナポレオン3世がパリ万国博覧会のために作成させたものです。これが初の公式ランキングで、ワイナリーの評価とワイン価格に基づいていました。ではその前に非公式ランキングはあったのか?答えは**「はい、数多く存在しました」**。これらは政府や公的機関によるものではなく、酒商、収集家、旅行者らが独自にまとめたもので、個人の経験・市場価格・評判が基準でした。「公式」ではありませんが、当時の人々が良質なワインを選ぶ上で大きな影響力を持っていました。

歴史的な事例

18世紀まで遡る具体例を分かりやすくご紹介します。当時ボルドーワインは英国やオランダへ輸出され、酒商たちが自然と「格付け」を始めました:

  • 18世紀の酒商リスト:1700年代頃から、ボルドーのワイン仲買人(ブローカー)は価格と品質に基づきワイナリーを序列化。例えば1745年頃、アントルダン・デュパン(Intendant Dupin)という人物が作成したリストでは、ラフィット(Lafite)やマルゴー(Margaux)が最高級に分類されました。高価で品質が安定し、買い手の評価が高かったためです。公式ではありませんが、酒商の取引で実用的に活用されました。

  • トーマス・ジェファーソンの記録:さらに興味深い例が!アメリカ建国の父ジェファーソンは熱烈なワイン愛好家として有名で、1787年にボルドーを訪れ自ら試飲したトップワイナリーを記録しました。彼は「第一級」としてラフィット、ラトゥール(Latour)、マルゴー、オーブリオン(Haut-Brion)の4つを挙げています。これらは1855年格付けでも最高位に(オーブリオンはグラーヴ地区ですが評価は最高)。彼のランキングは個人の見解でしたが、影響力が大きく多くの人々が参考にしました。非公式ランキングの典型例です。

  • その他の記録:17世紀末には既に英国人がボルドーワインの「等級」を甘口度や産地別に記録。19世紀初頭にはアンドレ・ジュリアン(André Jullien)の『ワイン地理学(Topographie de Tous les Vignobles Connus)』(1816年)など、価格と名声に基づくボルドーワイナリーのランキングが書籍化されました。これらは非公式ながら、購入者にとって非常に有用でした。

非公式ランキングが生まれた理由

当時ワイン市場、特に英国貴族に人気の「クラレット(Claret=ボルドーワインの通称)」が拡大。公式基準がなかったため、評判と価格でワイナリーの良し悪しを判断。高価格は需要と品質を反映し「最高級」と見なされました。これらのランキングは酒商の販促や買い手の失敗回避に役立ちました。1855年の公式版に比べ、より柔軟ですが主観的(特定産地を好む人がそのワインを高く評価するなど)という特徴があります。

1855年格付けとの違い

1855年ランキングは固定制(1973年のムートン昇格など微修正のみ)ですが、以前の非公式ランキングは市場の影響で変動しやすく、1855年の基礎となりました。当時から有名だったワイナリーが多く選ばれています。つまりこれらの初期ランキングは「草の根版」格付けシステムと言えるでしょう。

特定のランキングやワイナリーの詳細についてさらに知りたい場合は、追加でご説明します。ボルドーワインの歴史は本当に豊かで、これらの非公式ランキングもその魅力の一部です!グラスを傾けながら、ゆっくり探求してみてくださいね。😊

作成日時: 08-07 09:48:16更新日時: 08-09 22:47:28