国際的なコレクターが軽井沢に寄せる関心は、なぜ日本の国内コレクターのそれを遥かに上回るのでしょうか?

红霞 宣
红霞 宣
Young entrepreneur, angel investor.

ああ、その質問、核心を突いていますね。これは本当に面白い話で、まるで近所で小さい頃から見ていた子が、特に何も感じなかったのに、海外のオーディションに参加して一夜にして国際的なスーパースターになったようなものです。そうなると、彼を見る目が全く変わってしまいますよね。軽井沢も、だいたいそんな感じなんです。

簡単に言うと、いくつかの理由があります。

1. 当時の日本では「異端児」で、あまり受け入れられなかった

数十年前の日本を想像してみてください。人々がウイスキーを飲むのは主にリラックスのためで、水や氷、ソーダで割って「水割り」や「ハイボール」にして、すっきりとした飲みやすさを求めていました。

しかし、軽井沢のウイスキーは、その個性が「あまりにも強烈」だったのです。ヨーロッパ産のゴールデンプロミス大麦を使用し、最も伝統的なスコットランドの製法を学んでおり、非常に濃厚で重厚な味わいで、シェリー樽由来の甘い香りとウッディなニュアンスに満ちていました。この口当たりは、当時「淡麗」を追求していた日本の主流市場にとっては、あまりにもヘビーすぎました。普段緑茶しか飲まない人に、突然超濃厚なエスプレッソを飲ませるようなもので、ほとんどの人は受け入れられなかったでしょう。

そのため、軽井沢は日本国内ではずっと売れ行きが芳しくなく、非常にニッチな存在でした。最終的には経営が立ち行かなくなり、2000年頃に閉鎖されてしまいました。自国でさえ成功できなかったブランドに、国内のコレクターが注目することは当然ありませんでした。

2. 海外の「伯楽」による発見とブランディング

軽井沢が閉鎖された後、誰も見向きもしなかった大量の原酒が残されました。その時、数人のイギリス人(中でも最も有名なのは、Number One Drinksという会社を立ち上げたマーチン・ミラー氏)がこれらのウイスキーを発見しました。彼らが一口飲むと、その素晴らしさに驚愕しました!これこそ、ウイスキー愛好家が最も愛する、古き良き時代の重厚なシェリー樽熟成スタイルの逸品ではないか、と。

彼らはすぐに残っていた300樽以上の原酒を全て買い取りました。彼らは国際市場の動向を非常によく理解しており、二つの重要なことを実行しました。

  • ストーリーテリング:軽井沢を「忘れ去られた日本の伝説」「幻の蒸溜所」としてブランディングしました。このような「絶版」の物語は、コレクターにとって致命的な魅力となります。希少価値が高く、二度と生産されないという事実そのものが、最大の価値を生み出しました。
  • パッケージデザインの変更:彼らはこれらのウイスキーに、能面、芸者、武士、浮世絵など、東洋の美学を極めたラベルをデザインしました。これは、西洋人が抱く「神秘的な東洋」への想像力を刺激し、ボトル自体が芸術品となったのです。

このようにブランディングされた軽井沢は、日本の「田舎の素朴な若者」から、国際舞台で高貴な血統を持つ「最後の武士」へと変貌を遂げました。

3. その味わいが、まさに国際的なコレクターの好みに合致した

前述の通り、軽井沢の濃厚な風味は日本では受け入れられませんでしたが、ヨーロッパでは、ウイスキー愛好家たちはスコットランドの重厚なシェリー樽熟成やピーティーなスタイルに「慣れ親しんで」いました。彼らが軽井沢を飲んだ時、まるで新大陸を発見したかのような感覚を覚えました。その品質は、最高級のスコッチシングルモルトに全く引けを取らず、さらに独特の東洋的な趣があったのです。

ジム・マーレイのような国際的に有名な酒評論家が軽井沢に非常に高い評価を与え、一躍その名が知れ渡りました。評判が確立され、物語があり、希少性も加わったことで、価格は当然ロケットのように急上昇していきました。

まとめると:

つまり、この一連のプロセスはこうです。日本国内では不人気で閉鎖に追い込まれた蒸溜所 → その本質的な価値を理解した国際的なビジネスマンに発見される → 美しいパッケージと「絶版」の物語を通じて国際市場に売り出される → その独特の風味が国際的なコレクターの好みにぴったり合致する → オークションで高値を更新し続け、高額な投資対象となる。

日本国内のコレクターがその価値に気づき、収集しようと思った時には、軽井沢の価格はすでに国際市場で天井知らずに高騰していました。ほとんどのボトルは国際的なコレクターの手元を巡っており、彼らが参入しようとすれば、世界中の富裕層と共にオークションで競り合うしかありません。そのハードルは、当然ながら途方もなく高くなってしまったのです。要するに、「壁の中で咲いた花が壁の外で香る」という状況で、故郷の人々がその香りに気づいた時には、すでに花は摘み取られてしまっていた、というわけです。