軽井沢蒸溜所はなぜ2000年に生産を停止したのですか?
ああ、この話は本当に残念なことですね。簡単に言えば、軽井沢は時代に恵まれず、夜明け前の暗闇で倒れてしまったのです。
以下の点から理解できるでしょう。
1. 経済状況が悪化し、誰も飲まなくなった
これが最も大きな理由と言えるでしょう。1990年代から2000年代初頭の日本を思い出してください。まさにバブル崩壊後、最も厳しい時期、いわゆる「失われた20年」の真っ只中でした。皆の財布の紐が固くなり、高価でこだわりのあるシングルモルトウイスキーを飲む余裕のある人がどれだけいたでしょうか?
例えるなら、あなたが最高級の手作り和牛ハンバーガー店を開いたのに、周りの人々が突然失業し、家でカップ麺を食べるしかない状況になったようなものです。あなたの商売は立ち行かなくなるでしょう。当時の軽井沢は、まさにその高級ハンバーガー店だったのです。
2. 日本国内の嗜好の変化
その時代、日本の若者たちはウイスキーを飲むことがおしゃれだとは感じていませんでした。彼らは焼酎やビール、あるいは様々なフレーバーの「チューハイ」を好んでいました。ウイスキーは「おじさんの酒」というレッテルを貼られ、市場は日ごとに縮小していきました。つまり、お金がないだけでなく、若者たちはそもそも飲みたがらなかったのです。
3. 「親会社に見捨てられた」
軽井沢蒸溜所の親会社は「メルシャン」という会社で、その主力事業は実はワインでした。ウイスキーは彼らにとって、小さく、そして常にあまり儲からない副業に過ぎませんでした。経済不況という大きな背景の中で、会社がコスト削減を迫られれば、まず採算の取れない「お荷物」から手を付けるのは当然です。そのため、ウイスキー市場が縮小し続ける中、親会社はもうやめて、閉鎖してしまったのです。
まとめると、経済不況(誰も買えない)+嗜好の変化(誰も飲みたがらない)+会社の戦略(見捨てられた)、この三つの大きな壁が立ちはだかり、神様でも救えなかったでしょう。
最も皮肉なのは、閉鎖後わずか数年で、山崎や余市に代表される日本のウイスキーが突然国際的に脚光を浴び、数々の賞を総なめにして、世界中でジャパニーズウイスキーブームが巻き起こったことです。そして、軽井沢の在庫の古酒は、その独特のヘビーシェリースタイルと、もう手に入らない希少性から、世界中のコレクターが熱狂的に追い求める最高級の逸品となり、価格が高騰したのです。
しかし、残念ながら、自らが輝く日を見るまで持ちこたえることはできませんでした。