はい、ではこの非常に興味深い「ラッセルのパラドックス」についてお話ししましょう。
ラッセルのパラドックスとは?
おや、この問いは深遠に聞こえるかもしれませんが、実はその核心的な考え方は、非常に有名な物語、いわゆる「床屋のパラドックス」を通して理解することができます。
床屋の物語
想像してみてください。小さな村に、たった一人の床屋がいました。彼は自分の仕事に誇りを持っており、自身に一つのルールを課しました。
私は、村に住むすべての「自分で髭を剃らない人」にのみ髭を剃る。
これだけ聞けば、ごく合理的に聞こえますよね? 彼は自分で手入れをしない人々のために奉仕しているのです。
さて、ここで問題が生じます。
この床屋は、自分自身の髭を剃るべきでしょうか?
分析してみましょう。
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もし彼が自分自身の髭を剃るとしたら:
- 彼のルールによれば、彼は「自分で髭を剃らない人」にのみ髭を剃ります。
- 今、彼が自分自身の髭を剃ったということは、彼は「自分で髭を剃る人」であることになります。
- これは彼のルールに違反します!したがって、彼は自分自身の髭を剃ることはできません。
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もし彼が自分自身の髭を剃らないとしたら:
- そうなると、彼は「自分で髭を剃らない人」のカテゴリに属することになります。
- そして、彼のルールは、このカテゴリに属するすべての人に髭を剃ることです。
- したがって、彼は自分自身の髭を剃らなければなりません。
見てください、これは堂々巡り、いわゆる無限ループに陥ってしまいます。
- もし彼が剃るなら、彼は剃ってはいけないことになります。
- もし彼が剃らないなら、彼は剃らなければならないことになります。
どちらを選んでも、矛盾が生じます。これこそがパラドックスです。この床屋のルールは、論理的に成り立たないのです。
床屋から数学へ
さて、床屋の物語は終わりました。次に、この物語を数学の言葉に置き換えてみましょう。これこそが、ラッセルのパラドックスの本来の姿です。
ラッセルがこのパラドックスを提唱する以前、数学者たち(特に集合論の創始者カントールなど)は、私たちが考えられる、あるいは記述できるあらゆるものを一つの「集合」としてまとめることができると考えていました。例えば、「すべての整数の集合」や「すべての赤いものの集合」といったものは、ごく自然なものです。
その後、ラッセルは集合を二つの種類に分けました。
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第一の種類:「通常の集合」、つまり自身を含まない集合です。
- ほとんどの集合はこれに該当します。例えば、「すべてのリンゴの集合」という集合自体はリンゴではないので、自身を含みません。また、「すべての人類の集合」という集合自体も人間ではないので、自身を含みません。
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第二の種類:「異常な集合」、つまり自身を含む集合です。
- このような集合は比較的抽象的ですが、構築することは可能です。例えば、「すべてのリンゴではないものの集合」。この集合自体は「リンゴではない」ので、自身に含まれる条件を満たし、それゆえ自身を含みます。
分類を終えた後、ラッセルは床屋のパラドックスと全く同じ問題を提起しました。彼はある特別な集合を定義し、それを集合 R
と呼ぶことにしました。
集合 R = すべての「通常の集合」からなる集合。
言い換えれば、R は自身を含まないすべての集合を含む。
さて、ここでまたあの厄介な問題が浮上します。
集合 R は、果たして自分自身を含むのでしょうか?
もう一度分析してみましょう。
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もし R が R 自身を含むとしたら:
- R の定義によれば、R は「自身を含まない集合」のみを含みます。
- しかし今、R が自身を含んだとすると、それは R に含まれる条件を満たしません。
- したがって、R は自身を含むことはできません。矛盾が生じます!
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もし R が R 自身を含まないとしたら:
- そうなると、R は「自身を含まない集合」であることになります。
- R の定義によれば、R はそのようなすべての集合を含まなければなりません。
- したがって、R は自身を含まなければなりません。またも矛盾が生じます!
見てください、床屋のパラドックスと全く同じです。この集合 R
は、あの不運な床屋のように、その存在自体が論理的な破綻を引き起こしてしまうのです。
このパラドックスはどのような影響を与えたのか?
もしかしたら、「これは単なる言葉遊びではないか?」と思うかもしれません。
当時、このパラドックスの提唱はまさに衝撃的な出来事であり、現代数学全体の基礎である集合論を直接的に揺るがしました。なぜなら、当時の数学者たちが「どんな性質でも集合を定義できる」と考えていた基本的な考え方が誤っており、致命的な欠陥(バグ)が存在することを明らかにしたからです。
このバグを解決するため、数学者たちは後に集合論に「パッチ」を当て、より厳密な公理的集合論(例えば、現在一般的に使われているZFC公理系など)を発展させました。簡単に言えば、もう好きなように集合を定義することはできなくなり、より厳格なルールに従うことで、集合 R
のようなパラドックスを引き起こす「怪物」の出現を防ぐことができるようになったのです。
一言でまとめると
ラッセルのパラドックスとは、「自身を含まないすべての集合を含む集合」を構築することで、素朴集合論において一見合理的な定義が解決不能な論理的矛盾を引き起こすことを明らかにし、数学の基礎の再構築を推進したものです。