はい、その通りです。Gmailは確かにGoogle社内のプロジェクトとして始まり、その誕生秘話は伝説的で、Google初期の自由で革新的なエンジニア文化が色濃く反映されています。
話はポール・ブックハイトというGoogleのエンジニアから始まります。2001年頃、Google社内で使われていたメールシステムはひどいもので、遅くて使いにくく、皆が不満を漏らしていました。特にメール検索機能は、検索会社であるGoogleが自社のメール検索が全く使い物にならないというのは、まさに笑い話でした。
ブックハイトは当時別のプロジェクトに取り組んでいましたが、「もう我慢できない、使いやすいメールを作らなければ」と感じました。そこで彼は、Googleの有名な「20%ルール」を利用しました。これは、エンジニアが週に1日、本業とは関係なく、自分の興味のあるプロジェクトに時間を使うことを許す制度です。彼はこの時間を使って、密かに新しいメールシステムの開発に取り掛かりました。
彼がこのプロジェクトに掲げたいくつかの核となる目標は、当時としてはまさに夢物語のようなものでした。
- 速い! 彼は当時まだ新しかった技術(後にAJAXと呼ばれる)を使い、ウェブページ全体を毎回更新するのではなく、変更が必要な部分だけを更新するようにしました。これにより、Gmailはデスクトップソフトウェアのように感じられ、遅いウェブページとは一線を画す、革命的な体験を提供しました。
- 整理ではなく検索。 彼は考えました。「私たちは検索の会社なのに、なぜユーザーに苦労してフォルダーをたくさん作ってメールを分類させる必要があるのか?強力な検索ボックスを提供し、探したいものを検索すればすぐに見つかる、これこそがGoogleのスタイルだ」。この考え方は、人々がメールを管理する方法を根本的に変えました。
- もうメールを削除する必要はない。 当時市場にあった無料メールサービス、例えばHotmailなどは、容量が数MBしかなく、ユーザーはケチなように毎日メールを削除してスペースを空ける必要がありました。ブックハイトの目標は、メールを削除することなど考える必要がないほどの大容量を提供することでした。
「カリブー」というコードネームで呼ばれたこのプロジェクトは、当初ブックハイト一人で進められました。しかし、徐々にその驚くべき可能性が示されると、より多くのエンジニアが参加するようになりました。Google社内で何年にもわたってテストされ、社員たちは最初のユーザー兼テスターとなり、フィードバックや改善提案を絶えず行いました。
最も劇的だったのはその発表です。Googleは2004年4月1日、エイプリルフールにGmailを正式に一般公開しました。「無料1GBストレージ」という宣伝を見たとき、皆の最初の反応は「冗談だろう?今日はエイプリルフールだ!」というものでした。なぜなら、当時の主要なメールサービスの容量は通常2~4MB程度で、1GBというのはまさにSFのような話だったため、多くの人がGoogleのエイプリルフールのジョークだと思ったのです。
さらに、Gmailは初期には「招待制」を採用していました。すでにGmailを使っている友人から招待リンクを送ってもらわないと登録できませんでした。この希少性が瞬く間にソーシャルネットワークで話題となり、Gmailの招待コードがeBayで数十ドル、時には数百ドルで取引されることもありました。これは飢餓マーケティングの典型的な事例であると同時に、瞬時に大量のユーザーが殺到してサーバーがダウンするのを防ぐ役割も果たしました。
まとめると、Gmailは、一人の天才エンジニアが社内ツールに我慢できなくなったことから始まり、イノベーションを奨励する「20%ルール」の下で誕生しました。「検索、大容量、高速体験」という画期的な特徴に加え、伝説的なエイプリルフールでの発表と、口コミで広がる招待制によって、最終的にメール業界全体を根本から変えたのです。