軽井沢は、何年から国際市場で人気が出始めたのでしょうか?
この問題は二つの側面から見る必要があります。一つは観光地としての軽井沢、もう一つは伝説的なウイスキーとしての軽井沢です。これらが国際的に有名になった時期は、実は異なります。
まず、観光地としての軽井沢についてです。
その歴史は古いです。実はかなり早くから「国際的な雰囲気」を持っていました。1886年には、アレクサンダー・クロフォード・ショーというカナダ人宣教師がこの地を発見し、夏が天国のように涼しいと感じ、ここに別荘を建てました。その後、多くの西洋の外交官、ビジネスマン、知識人が避暑のために訪れるようになり、軽井沢は当初からかなり西洋的なリゾート地でした。
しかし、それが真に世界的な注目を集めるようになったのは、二つの大きな国際イベントのおかげです。
- 1964年東京オリンピック:その年、東京でオリンピックが開催され、馬術競技の会場が軽井沢に設けられました。世界中のメディアと注目が集まり、これが国際舞台での最初の大規模な登場となりました。
- 1998年長野冬季オリンピック:この冬季オリンピックのカーリング競技も軽井沢で開催されました。再び成功した国際的なスポーツイベントにより、「Karuizawa」という名前は、より多くの新しい世代の外国人に知られるようになりました。
ですから、リゾート地としての軽井沢は、ある年突然有名になったのではなく、徐々に知名度を上げていった過程があります。しかし、1964年は、それが「日本にいる外国人コミュニティ」から「世界」へと広がる重要な転換点と言えるでしょう。
次に、より劇的な軽井沢ウイスキーについてです。
この話は非常に興味深く、まるで「死後に神格化された」かのようです。
軽井沢ウイスキー蒸留所は、実は2000年に生産を停止し、その後完全に閉鎖されました。「生きていた」頃は、基本的に日本国内でのみ販売されており、国際的に知る人はほとんどいませんでした。
真の転換点は2010年以降に訪れました。
当時、イギリスの酒商(Number One Drinks)が、すでに閉鎖されたこの蒸留所に高品質な原酒の在庫が残っていることを発見し、2011年にそれらを全て買い取りました。
彼らはこれらの貴重な原酒を瓶詰めし、「軽井沢」のラベルを貼って国際市場に投入し始めました。ウイスキーの品質が確かに最高級であったことに加え、「閉鎖された幻の蒸留所」(Lost Distillery)という伝説的なストーリーが加わり、瞬く間に世界のウイスキーコレクターや愛好家の熱狂的な支持を集めました。
それ以来、軽井沢ウイスキーは様々な国際的な品評会で次々と賞を獲得し、オークション価格は記録を更新し続け、一本のボトルが数百万円、時には数千万円で落札されるニュースも珍しくありません。
ですから、もし軽井沢ウイスキーについて尋ねるなら、それが国際市場で人気を博したのは、2010年頃から始まり、2011年に買収された後に本格的に爆発したと言えます。これは観光地として国際的に有名になった時期よりもずっと遅いですが、その勢いははるかに強烈でした。