チャーリー・マンガーとウォーレン・バフェットが初めて出会った背景は何ですか?また、彼らの価値観にはどのような類似点がありましたか?
作成日時: 7/30/2025更新日時: 8/17/2025
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チャーリー・マンガーとウォーレン・バフェットの出会いと共通の価値観
初めての出会い:歴史を変えた晩餐会
チャーリー・マンガーとウォーレン・バフェットの初対面は1959年、アメリカ・オマハ市で実現した。二人ともオマハで育ち、バフェットの祖父が経営する雑貨店で共に働いた経験こそあったものの、年齢差のため幼少期に深い交流はなかった。
この出会いを仲介したのは共通の友人であるオマハの医師、エドウィン・デイヴィス(Edwin Davis)だった。デイヴィスはバフェットの初期の投資家の一人であり、その才能を高く評価していた。同時に彼はマンガー家とも親交があった。当時マンガーは成功した弁護士として、カリフォルニアからオマハに戻り父の葬儀を執り行っていた。
デイヴィスは、この二人の卓越した知性を持つ人物がきっと意気投合すると確信し、晩餐会をセッティングした。その席でバフェットとマンガーは瞬時に打ち解け、思考様式やユーモアのセンスが驚くほど似通っていることを発見した。バフェットは後年、マンガーとの出会いを「鏡を見ているようだった」と表現し、さらに「より優れた自分」と評している。二人は徹夜で語り合い、その瞬間から60年以上にわたる友情と協力関係が始まり、バークシャー・ハサウェイというビジネス帝国の共同建設へとつながった。
共通の価値観:バークシャー帝国の礎
マンガーとバフェットの協力関係がこれほど成功した根本的な理由は、彼らが極めて一致した中核的価値観を共有していたことにあり、これらが彼らの投資哲学と人生の礎を形作った。
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1. バリュー投資への共通の信念
- 二人ともベンジャミン・グレアム(Benjamin Graham)のバリュー投資理論の信奉者であり、投資の本質は「企業の一部所有権をその本質的価値(内在価値)よりも低い価格で購入すること」だと確信していた。
- しかし、マンガーがバフェットに与えた影響は決定的だった。彼はバフェットを、グレアム式の「葉巻の吸い殻」投資法(安価だが平凡な企業を探す手法)から、「優良企業を適正な価格で買う」 という考え方へと進化させた。これは彼らの投資哲学における中核的なアップグレードであった。
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2. 徹底的な合理性と客観性
- 二人とも投資判断において感情的な干渉を排除し、理性と厳密な分析に依拠することの重要性を強調した。
- マンガーは特に「多元的思考モデル」(Latticework of Mental Models)を提唱し、心理学、物理学、生物学など様々な学問分野の思考モデルを活用して問題を分析し、認知バイアスを避け、より客観的な判断を下すことを推奨した。
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3. 「能力の輪」への固執
- 二人とも、投資家は自らが深く理解できる分野でのみ投資すべきだと固く信じていた。自身の能力の輪を超える業界や企業については、躊躇なく見送る姿勢は、彼らの高い知的誠実さの表れであった。
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4. 長期主義と企業所有権思考
- 彼らは株式を短期的に売買する紙切れとは決して見なさず、企業の所有権証明書と捉えた。理想的な保有期間は「永遠」であり、市場の短期的な変動ではなく、企業の長期的な収益力と競争優位性に注目した。
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5. 誠実さと信頼の至上性
- 投資先の選定においても、子会社の経営者との協業においても、経営陣の誠実さと人柄を最優先に考慮した。バークシャー・ハサウェイの独特な「放任型」経営モデルは、傘下各社のCEOに対する高い信頼の上に成り立っている。
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6. 生涯学習への渇望
- 二人とも「学習マシン」であり、生涯にわたり膨大な量の読書を続けた。知識は複利のように時間とともに蓄積され、より良い意思決定を助けると信じていた。マンガーは「私がこれまでに出会った賢明な人物で、毎日読書をしない人は一人もいなかった」と述べている。
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7. 謙虚さと質素さ
- 莫大な富を持ちながらも、二人とも比較的質素な生活様式を維持し、アメリカ中西部出身者らしい実用性と謙虚さを体現した。彼らが重視したのは個人の贅沢な享受ではなく、資本の効率的な配分であった。
作成日時: 08-05 09:02:24更新日時: 08-09 21:29:54