この質問はなかなか面白いですね。例えるなら、「あなたは健康のために走るのか、それともSNSに投稿するために走るのか?」と聞いているようなものです。
正直なところ、どちらのタイプの人もいますし、多くの場合、一人の人間の中に両方の考えが存在します。
ほとんどの人は、最初は情熱に満ちていて、ある問題を見ては「もっとうまく解決できるはずだ」とか、「このやり方は間違っている、別の生き方をすべきだ」と感じます。この初心は、何かを変えたいというものです。この「世界」は必ずしも全人類を指すわけではなく、あなたの住む地域、あなたの属する業界、あるいはあなたのようなごく一部の人々の生活かもしれません。例えば、デリバリーの包装が環境に優しくないと感じ、リサイクル可能な弁当箱のビジネスを始めたいと思うなら、それは非常に具体的な小さな世界を変えようとしているのです。
しかし、起業というものは非常に苦しいものです。九死に一生を得るようなものです。ようやくチームを立ち上げ、製品を作り、数えきれないほどの顧客や投資家と会い、心身ともに疲れ果てた時、「Founder(創業者)」という肩書きは、精神的な慰めとなります。それは勲章のようなもので、自分自身と他人に「見てくれ、私はどうにかゼロからイチを生み出し、大きなことを成し遂げたんだ」と思い出させます。この時、それを履歴書に書くことは、自分自身への説明であると同時に、将来万が一失敗したとしても、次の仕事を見つけたり、再起を図るための資本にもなります。これは非常に現実的で、ごく自然なことです。
ですから、この二つは完全に相反するものではありません。
- **世界を変えたいという思いは、あなたのエンジンであり、燃料タンクのガソリンです。**これがなければ、あなたはそもそも始動できませんし、最初の困難を乗り越えることもできません。
- **履歴書に一行増やしたいという思いは、あなたのスペアタイヤ、あるいは保険のようなものです。**それは現実の世界で、あなたに少しばかりの安心感を与えます。
本当に危険なのは何でしょうか?それは、二番目の考えしか持たない人々です。彼らは起業を「箔付け」や、人脈作りの手段だと考えています。このような人々は、往々にして長くは続きません。なぜなら、起業の本質は「価値の創造」であり、「問題解決」だからです。もしあなたの目が「Founder」という虚名ばかりを追っているなら、製品が売れない、従業員が辞めようとしている、来月の給料が払えないといった現実の困難を乗り越えることはできないでしょう。なぜなら、虚名では収入は得られず、実際の問題も解決できないからです。
総じて、健全な起業家は、心に星の海(世界を変えること)を抱きつつも、地に足をつけていること(履歴書も良く見せること)も知っています。しかし、彼の重心は間違いなく前者にあるべきです。後者は、単に付随的な結果に過ぎません。もし逆であれば、それは本末転倒です。