例えるなら、これは料理を学ぶようなものです。
もしあなたの学習方法が、レシピを丸暗記することだとしたら、例えば「トマトと卵の炒め物:卵2個、トマト1個、塩5g」。もし今日、卵が3個になったり、トマトがミニトマトに変わったりしたら、あなたは途方に暮れて、どうすればいいか分からなくなるかもしれません。これが「問題の罠」にはまるということで、表面的な変化に惑わされているのです。
しかし、「第一原理」を使って学べば、学ぶのは固定されたレシピではなく、料理の最も核心となる原理です。
- 卵はどのくらいの油温で固まり、ふっくらするのか?
- トマトは加熱するとどうして水分が出るのか、その酸味と甘みは他の味とどうバランスするのか?
- 塩は料理において具体的にどのような役割を果たすのか?(旨味を引き出す、水分を抜く、味を調える)
これらの最も基本的で核心的な法則をマスターすれば、卵が3個だろうと、うずらの卵がたくさんあろうと、あるいはトマトがパイナップルに変わろうと、冷静に分析し、工夫して新しい料理を作ることができます。なぜなら、あなたは固定された「レシピ」(問題パターン)に頼るのではなく、本質から考えて問題を解決するようになるからです。
問題解決においても同じことが言えます。
いわゆる「問題の罠」の多くは、実は「トマト」が「ミニトマト」に変わったようなもので、表面的なバリエーションに過ぎません。例えば:
- より回りくどい表現に変わった。
- 全く役に立たない「目くらまし」のような条件がいくつか追加された。
- 単純な物理プロセスが非常に複雑に記述されている。
「問題パターンを暗記する」だけの学生は、これらの変化を見ると慌ててしまいます。なぜなら、それは彼が暗記した「レシピ」と一致しないため、新しい問題、難しい問題だと感じるからです。
一方、第一原理で考えることを知っている学生は、これらの派手な装飾を習慣的に無視し、この問題が一体どの最も根本的な物理法則、数学的定義、あるいは化学反応原理を問いたいのかを直接分析します。彼は自問します。「これらの外殻を取り除けば、この問題の『核(Core)』は何なのだろうか?」と。
例えば、ある物理問題では、上り坂や下り坂、摩擦力、空気抵抗など、派手な記述がされているかもしれません。第一原理で考える学生は、これらが本質的には「エネルギー保存の法則」の応用であることを見抜きます。複雑な記述は単なる「罠」であり、「エネルギー保存」こそが「核心となる出題ポイント」なのです。
したがって、第一原理は「知識のフレームワーク」の根底にあるロジックを構築するのに役立ちます。これにより、問題に直面したときに表面的な詳細に囚われることなく、要点を捉え、出題者が本当に何を問いたいのかを見抜くことができます。これは、複雑なものを単純化し、普遍的な原則で変化に対応する能力なのです。