バークシャー・ハサウェイの繊維事業は、バフェット自身が失敗と認めた投資ですが、なぜ彼は閉鎖するまで長期間固執したのでしょうか?
作成日時: 7/30/2025更新日時: 8/17/2025
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バフェットがバークシャー・ハサウェイの繊維事業を失敗投資と認めたにもかかわらず、なぜ長年閉鎖を遅らせたのか?
バークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)はもともと繊維会社であり、ウォーレン・バフェットが1965年に買収した後、繊維事業の収益性が低く、長期的な赤字さえ続いていることに気づきました。彼は複数の株主への手紙(1985年の手紙など)でこれを失敗投資と認めていますが、事業を完全に閉鎖したのは1985年になってからでした。バフェットがこれほど長く事業を続けた理由は、投資戦略、埋没費用、企業経営、個人的な教訓など、複数の観点から分析できます。主な理由の詳細は以下の通りです:
1. 埋没費用の誤謬の影響
- バフェットは後になって、自らが「埋没費用」の誤りを犯したと振り返っています:多額の資金と労力(買収費用とその後の資本注入を含む)を投入してしまったため、簡単には諦められなかったのです。株主への手紙で彼は「失敗を認めたくない。そうすれば自分たちが愚かに見えるからだ」と記しています。これは、将来性ではなく過去の投資額ゆえに、損失が出ている事業に投資を続けてしまうという一般的な心理的バイアスです。
- 繊維事業は当初から低コストの海外競合(アジアの繊維産業など)に直面していましたが、バフェットは経営改善やコスト削減などで事業を「救おう」と試み、その結果、閉鎖判断が遅れました。
2. 従業員と社会的責任への配慮
- 繊維事業には数千人の従業員が関わっており、閉鎖は大規模な失業を意味しました。バフェットは従業員に対する責任感を強調し、労働者を簡単に解雇したり地域経済を破壊したりすることを望みませんでした。1985年の手紙で、彼は閉鎖決定が「困難なものだった」と述べ、従業員には手厚い退職金と再就職支援を提供したことを明らかにしています。
- これはバフェットの「人間的な」経営スタイルを反映しています:彼は短期利益の最大化よりも、資産を長期保有し、ステークホルダーを優先する傾向がありました。これが20年もの間事業を続けた理由の一つです。
3. 学習と実験の姿勢
- バフェットは繊維事業を「生きた教室」と見なしていました。手紙の中で彼は、ここから貴重な教訓を学んだと述べています:繊維業界のような斜陽産業に資源を浪費せず、競争優位性のある事業に集中すべきだという教訓です。この失敗は、「経済的な堀(経済的優位性)」の重要性を強調し、「吸い殻投資」(安いが質の低い資産を拾うこと)を避けるといった投資戦略の構築に役立ちました。
- 彼は製品の多様化、設備の更新、市場調整など様々な戦略を試みましたが、最終的には繊維産業の構造的問題(高い労働コストなど)は逆転できないと認識しました。この経験により、その後の保険や消費財分野への迅速な転換など、投資判断がより果断になりました。
4. 会社の起源と感情的要因
- バークシャーは繊維業を起源としており、そこには感情的な意味合いがありました。バフェットは当初、買収を株価が純資産を下回る「バリュー投資」の機会と見なしましたが、業界の衰退を軽視していました。閉鎖が遅れた背景には、会社の基盤を「殺す」ことへの抵抗感も一部ありました。
- しかし、バフェットは最終的に1985年に事業を閉鎖し、資源を『ワシントン・ポスト』紙やコカ・コーラ株の買収など、より将来性のある分野に振り向けました。これは「繊維会社」から「持株投資会社」への転換を象徴する出来事でした。
教訓と示唆
バフェットは株主への手紙で繰り返し、この失敗は「高くついた教育」であり、「優れた企業に集中し、悪いビジネスに『良い金を悪い金の後から投じる(throw good money after bad)』ことを避ける」という彼の投資原則を強化したと強調しています。もし早期に閉鎖していれば数億ドルを節約できたかもしれませんが、この経験がバークシャーの成功の道筋を形作りました。今日、バークシャーは繊維業から完全に脱却し、時価総額1兆ドル規模の多角化帝国へと発展しています。
この事例を通じてバフェットが投資家に伝えるのは、埋没費用や感情に縛られるのではなく、過ちを認め、タイムリーに損失を確定させる(損切りする)ことが重要だということです。これが彼の手紙が投資戦略と企業経営の古典的な教科書とみなされる理由でもあります。
作成日時: 08-05 08:23:21更新日時: 08-09 02:21:05